いつものように午前七時、道具屋の前に集合した児島さんの様子がおかしかった。本人は不調を感じていないようだったけれど、顔色が明らかに悪い。最初の顔合わせのときに児島さんが提案したこと、本人が大丈夫と思っても明らかに体調が悪そうだったらその日はやめる取り決めに従うことになった。そうはいっても、本人が不調を感じないどころか気分がいい、と言っている(それは本心からそう思っているように思えた)のに顔が真っ青というのは不気味だ。そこでぞろぞろと診療所までみんなで行くことにした。
診療所の先生は一瞥して訓練場に行けで終わってしまった。どうもこの症状に慣れているようだった。
訓練場で治療術師の教官である久米錬心(くめ れんしん)さんにお話を聞く。久米さんがほんのちょっと触れただけで児島さんの顔色が治ったのは驚きだった。いまだ迷宮街でも使用できる探索者がいない治療術で、なくなった身体をつくることはさすがにできないけど、それでも瀕死の人間を全快できるらしい。
児島さんの症状は便秘のようなものだという。迷宮内で呼吸するたび身体に吸い込まれるエネルギー、それをうまく排泄できずに残してしまっているのだそうだ。体内に術に使うためのエネルギーがあるわけだから、当然児島さんとしては調子がよくなるのだろうけど、便秘が健康にいい生き物なんてこの世にはいない。こうなっている人間を見つけたら、一日二日訓練場で身体を動かして発散させるか、あまりにも悪い顔色だったらつれて来いとのことだった。
迷宮街に慣れてしまうことで変わってしまった人間について書こうと思ったけど、これもそのうちのひとつに挙げられるかもしれない。
ともあれ児島さんが回復した時にもうお昼過ぎていたから、午後からエディの訓練場が空き始める事にあわせて戦士たちの戦闘技術底上げに使おうかという話になった。それで、危なげもなくエディの間へ。迷宮街にきたのはつい先日なのに、もうこの階層では安心していられるようになっている。一ヶ月でこれだけの成長があるということも意外だけれど、さらに意外に思うのは、俺たちよりもずっとずっと長い間探索を続けてきた第一期の探索者たちでもまだ第四層で足止めを食らっているということだった。真城さんから聞いた話では、第一層から第二層、三層と続けて降りるとその時点で体力も時間も気力も切れてしまうのだという。第四層まで歩くだけでも三時間以上になるらしい。それに化け物との戦闘が加わる。もちろん片道だけじゃないからなかなか歩を先に進められないのも当然か。
エディの間では恩田くん部隊が先客としており、交互に五回ほど戦闘をした。
エディとの訓練のときは俺は優越感を味わうことができる。なにしろエディには表情がないし、筋肉があって動いているものではなく実体化したエネルギーがたまたま人間の形をしているだけのものだ。片足だけでどうしてそんなに勢いよく飛んでくる? と文句のひとつもつけたくなるような常識離れした動きを見せてくれるだけに、生き物の動きを読む力も利用して戦っている翠などは調子が狂うようだ。最後はスピード勝負になってしまうし、純粋なスピード勝負になったら俺の方が分があるのだ。それにしても青柳さんの剣がエディを捉えると恐ろしい勢いで跳ね飛ばされる。あれはなんだろう?
恩田さんたちの部隊を見稽古しているとき、翠が小声で話し掛けてきた。彼らの罠解除師である鈴木秀美(すずき ひでみ)さんについてだ。詳しい経歴を知っているかという質問だった。出身は知らないけど高校生らしいというと彼女を見たまま考え込んでいた。何かおかしいところでもと思い、恩田くんや西野さんの戦いを眺める彼女を見たけれど、確かに地下にいるにしては泰然自若としてふてぶてしくすらある態度はすごいと思うけど、それ以外は普通の女の子に思えるのだが。
桐原聡子(きりはら さとこ)さん率いる部隊がやってきたのでそこでお開きにする。彼女たちは『週末探索者』と呼ばれるグループで、平日はきちんとお仕事をもちながら週末にやってきては戦っている。なかなか独特な週末の過ごし方だと思う。恩田くんたちと一緒に見稽古させてもらったが、週末だけとはいえさすがに第一期からいる古参の探索者だった。エディがものの数十秒でしとめられていた。特に国村さんという戦士の腹筋と背筋の力がすごく、胴のねじりだけで打っている打撃でエディの身体がぽんぽんと飛ばされている。筋力が違うのか、使い方が違うのか。来週の土曜日には時間をもらって少し稽古をつけてもらう約束をした。
地上に戻ってから笠置町屋敷に遊びに行った。葵が昨日、レンタルビデオ屋で借りたビデオが趣味に合ったから。シャルロット・ゲンズブール特集だった。姉の翠はアクション一辺倒、妹の葵は恋愛もの一辺倒というのがイメージそのままで面白い。
寝るくらいなら観なけりゃいいのに雰囲気悪い女だなと言ったら怒らせてしまった。明日もう一度謝っておこう。