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「おや、克巳も早いね」
奥野道香(おくの みちか)の言葉にテレビの前に座っている同級生が振り返って笑った。いま来たところだよ、という彼の名は二木克巳(にき かつみ)といい、大学ではゼミそしてフットサルのサークルでも同期にあたった。この部屋の主である神野由加里(じんの ゆかり)ともゼミは一緒である。国際政治学そして地政学を中心に学ぶそのゼミの同期ではあと有田俊二(ありた しゅんじ)、木村ことは(きむら ことは)、そして退学したが真壁啓一(まかべ けいいち)という人間が親しく交流していた。
卒論もあらかたメドが立った年明け、そのうちの一人神野の部屋に集まった理由は新年会だがそれだけではなく、この場にくる予定ではない真壁に関するものである。彼が大学を辞めて赴いた街そして就いた職業が昨年末にテレビ局に取材され、今日はその番組が放映されるのだった。真壁自身も座談会のような席にはつきテレビカメラの前でしゃべったという。もしかしたらそのシーンが採用されるかも知れないし、とりあえずは背景として映る可能性が高いという情報はゼミの先輩から仕入れていたので久しぶりのその元気な姿を酒の肴にしようという魂胆だった。
番組は十一時からだけど、宴会はそれより早く始めよう。七時スタートを目安にして時間ができたらいつでも来てねと家主に言われていたこともあって奥野が到着したのは五時半。てっきり一番乗りかと思っていたから先着の人間がいたことは意外だった。卒論どうだい、できあがったよ、いいなあ、という会話を交わしながら視線を移すと、家主である娘が両手を持ち上げたままもの問いたげに微笑んでいる。右手にはウーロン茶のペットボトル、左手にはメロンの缶チューハイ。無言で左手を指差すと神野はにっこりと笑った。
「克巳はあれから啓ちゃんには会っているの?」
いや、と二木は首を振る。花彫酒家(彼が上京した際に集まった新宿の中華料理屋だった。杏仁豆腐がとんでもなくうまい)以来だから奥野と同じだろう。会ったのは由加里と姐御だけじゃなかったかな? 有田はどうだったか。
会ってないって、と答えをはさんで神野は奥野の前にグラスを置いた。そこに緑色の炭酸アルコールを注いでいく。少々暑い室温に冷たいサワーはさぞかしおいしく感じることだろう。
グラスを持ち上げる手がふと止まった。視線はテーブルの上、ウーロン茶が湛えられている二つのコップに違和感を感じたのだ。なんだろう? と思いながらアルコールを喉に注ぎ込む。うまい。
大きく息をついて気がついた。並ぶグラスにはびっしりと水滴。それがしたたり落ちてできた水の輪が卓上には五箇所ある。
いま着いたばかりと先客は言った。それが本当なら、わずかな時間にグラスに水滴がびっしりとうかび、しかもその位置が二箇所ではなくて五箇所もあるのは少し不思議なことではないだろうか。