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北酒場の一隅、長方形の卓が並ぶ個所で目当ての二人を見つけた。部隊の仲間の戦士である真壁啓一(まかべ けいいち)はすぐに自分に気づいたらしく、ジョッキを持つ手を上げた。その隣りでは姉の翠がぐったりと突っ伏している。笠置町葵(かさぎまち あおい)は驚いた。双子の姉が酔いつぶれたところなど見たことがなかったからだ。
いや、それでもと思い直す。この戦士の日記の中では落ち込んだ翠を酔いつぶしてホテルに叩き込んだという描写があったはずだ(それを読んだ仲間たちが誰一人として「何かしたんじゃないのか」と思わないのは人徳だろう)。
毎度、と挨拶する真壁に笑顔を向けて、とりあえず姉の隣りに腰をおろした。経緯を問う。今朝上機嫌で出かけていった姉のデートの相手は憧れの従兄ではなかったか? それがどうして仲間の隣りで酔いつぶれているのだろう。真壁が語る事情は単純だった。六時ごろ、モルグで本を読んでいたら翠がやってきて飲まないかと言われたというそれだけ。従兄と何かあったのだろうか? との疑問に真壁は首を振った。そんなことは言っていなかったな。
「じゃあどうしてここまで酔っ払っているんでしょう?」
現実はバラ色じゃないってことだろうなと真壁は言った。現実?
「ずっと憧れてた相手とさあデート、思ったより楽しくなくて心もときめかず、せっかくの機会を楽しめない自分に焦り、相手をイヤに感じる。それまでの自分が築き上げた思いが崩れてしまうような不安。お子の頃にそういうことなかったか? 初めてのデートで馬鹿みたいにディズニーランドに行って話が続かなくなってトラウマになるような」
そしてジョッキを傾ける。
「このお嬢さんの片思いは水上さんを身近に見続けてのものではなくて、お子の頃のイメージを自己本位に膨らませたドリームだからなあ。土曜日大繁盛でうんざりするほど並ぶUSJ、それも朝から天気崩れてる――そして相手の男は他の女のことで頭がいっぱいという状況を楽しめる女なんていないだろう。百年の恋も冷めるさ」
それはそうかもしれない。ならばそれを知ってあなたはけしかけたのか? チケットが手に入って最初に誘ったのは目の前の男だとは姉から聞いていた。それを強引に従兄を誘うように勧めたのだと。酔いつぶれている姉の髪をなでながら放った非難に真壁はあっけらかんとうなずいた。
「お子の頃からのドリームをいつまでも飼ってていいわけないだろう? どこかで醒まさないといけないよ。もしもドリーム飼ったまま憧れの相手に結婚されてごらん。一生引きずっちゃうぞ。それなら、ちょっと嫌な思い出でも『一緒に遊んだけど楽しくなかったし疲れたな』という感想を植え付けておいたほうがいいんだ。おそらく水上さんの婚約者の――下川さん? ――彼女もそれを狙っていたんだと思うよ。でなけりゃ火曜まで水上さんいるんだから、平日にチケットを取るに決まってるさ」
でも、と釈然としない思いで答えた。それは、なんというか、ひどい。翠がかわいそうだ。
「そうだな、かわいそうだ。俺も心が痛むよ」 まったく痛んでいない顔でしゃらっと言ってのける。
「でも、かなわない憧れに縛られて今後生きていくのかと思うと、俺が口出しする問題じゃないのかもしれないが、つらかった。だから荒療治させてもらった」
酔いつぶれる姉を眺める視線は暖かく、ほっとしているようだった。双子だからか同性ゆえか、自分が見えていないものをこの男は見ているのかもしれない。姉のことを第一に考えていることだけは信じてもいい気がした。ならばそれはそれでいい。
「これであとは時間次第でふっきるだろうさ。ふっきったらいい女なんだから男なんぞいくらでも寄ってくるだろう。これがこの三ヶ月の礼になるとはとても思えんが、俺にできるのはここまでだろうから仕方ない」
暖かい言葉には淋しげな翳りがあるような気がする。少しだけためらってから、来月にはこの街にいない男はそっと手を伸ばし、突っ伏している女の頭をなでた。