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秋谷佳宗(あきたに よしむね)の戦いぶりをさして「踊りのよう」と表現する連中は、当然彼のもう一つの顔を知っているからそういうのだろう。しかしそれを差し引いたとしても背筋が常に伸びて安定した下半身の動きは優雅な印象を見るものに与えた。しかしそれは今は見られない。普段ならば足さばきを多用して位置を変えながらの戦いが得意な秋谷であったが、今はただ両足を止めて怪物の群れを押しとどめていた。
鉄剣を一閃そして一閃する。その都度に目の前にいる青鬼の頚動脈、目、鎖骨といった一撃で戦闘不能になる個所に黒い穴がうがたれていく。効率を重視して軽く小さく当てている剣先はムチのようにそこにあるべき肉をえぐっていった。本当だったら一撃で行動不能にしなければならないのだが、こうも数が多いと――見上げた視界、激しい動きでかなり吹き散らされた白い霧の中に赤い光点が数え切れないほどに光っている。とにかく戦闘不能にし放置し、失血死を待つしかなかった。当然そいつらはじたばたと暴れるので邪魔になるがそれは仕方がない。
ぐん、と下半身が重くなった。機械的に目の前の一体の喉、利き手親指の筋を切り飛ばしてから視線を足元に送る。右足首に瀕死の青鬼が噛み付いていた。放置したツケがこれだ、と暗澹たる気分になる。経験があるが、最後の力を振り絞って噛み付いたこの化け物のあごを外すのは難儀だった。一歩下がって壊すか、そう思い威嚇のつもりで眼前の赤鬼を袈裟懸けに切り下ろした。防御が間に合わない一閃はその毛むくじゃらの身体を斜めに両断する。押し寄せる勢いがやみ、その死体のまわりに空間が生まれた。
さて、と視線を再び足首に送った瞬間にその頭部が壊れた。銀光を追うと怪物の群れに視線を置いたままの野村悠樹(のむら ゆうき)がいる。この戦士は隣りで戦っている自分の異変に気づいていたのだった。そしてあっさりと怪物の頭部を破壊してのけた。助かった! と声をかけると野村は口の端だけで笑った。その顔は返り血で真っ黒になっている。口の周りだけが肌色なのは、無意識にその血を舐めとっているからだ。怪物の血だと思わなければその適度な塩分は意外に美味なのだった。やれやれ、これじゃどっちが化け物かわからないな。
「焼くよ! 下がって!」
アマゾネス部隊の女魔法使いの声。ようし一息つけるか、と後退しようとした足がとまった。見下ろせば今度は二匹の化け物がしがみついている。ぞっとした。
カウントは進んでいる。ちょっと待て、と声をかけたが止まらない。もう神田絵美(かんだ えみ)は集中に入っているのだ。自分の責任で術の効果範囲から逃げ出さないとならなかった。しかし足が動かない。
「――ファイヤー! ちょっとヨシムネ! なにやってるのよ!」
最後のカウントで目を開いたのだろうか。神田の悲鳴が聞こえた。しかし発動した術はもう戻らない。真っ白い霧が顔に押し寄せてきた。かすかに熱を伴っているそれが高熱の水蒸気のように思えた。そしてオレンジ色の炎。間に合わない。自分は巻き込まれる。
下半身が炎に飲み込まれたが不思議と熱さも痛みもない。そんなものなのかな、と思う。そして中央の炎柱から伸びた炎のムチが人間の手になって自分の肩を掴んだ。これが死神の腕か、とどこか待ち望んでいたような気持ちで納得した。これは最後の、そして自分の人生で最大級の経験だ。よーく目を見開いてしっかりと見よう・・・。
「ヨシムネ! ヨシムネ! 朝だよ! 寝るなら部屋で!」
夢の中の動きと連動しているのか、開いた視界に見覚えのある顔が飛び込んできた。先ほど夢の中で自分を焼き殺してくれた女魔法使いだった。夢とはいえ死を体験したその衝撃でぼんやりしている頭で、迷宮出口の詰め所の一角を見回した。昨夜、予想もしなかった反攻をなんとか撃退してから彼ら最精鋭の戦士たちも地上で待機を命じられた。どうやら椅子に座ったまま眠ってしまったらしい。
窓からは陽光がさしこんでいる。時計を見たら七時少し前になっていた。
「神田さんおはようございます」
おはよう、と魔女はコーヒーのカップを差し出した。ミルクと砂糖がたっぷり入っていて甘い。疲労が抜けていく気がした。次いで状況を質問する。あれから二度目の攻撃はなかったの? なかったという言葉にうなずいた。総数200匹以上の攻撃は、防衛に当たった二部隊の奮戦、そして瞬間移動の魔法で救援に駆けつけた自分たちの働きでその半分近くを殺してのけた。縦穴までの道はたいへん歩きにくいことになっている。視界の悪さに比べて大量の屍骸が散らばっているからだ。
「あれから誰か死んだ?」
ううん、と神田は首を振った。結局昨夜の死者は、化け物の集団に襲われた当時の防衛メンバーである佐藤良輔(さとう りょうすけ)、内藤海(ないとう うみ)、長田弓弦(おさだ ゆづる)だけということだ。あれだけの熱戦の割には被害は軽微といってよかった。とはいえ先日進藤の部隊に加わったばかりの長田はともかく、第二期では屈指の戦士と魔法使いである佐藤と内藤の死は今日からの作業にとって痛かった。
「湯浅、真城両部隊はとりあえず一五時に再集合だって。もうみんな部屋に戻ってる。普段モルグを使っている人は申し出れば個室のお金を払うって。まあ六階の部屋の金額じゃないんだけどね」
秋谷は立ち上がって伸びをした。解散の前にそういう説明があったのなら起こしてくれればよかったのにと言うと神田は微笑んだ。
「すごく安らかな寝顔だったから寝かせておこうと思ったの。なにか夢を見ていたの?」
回答は期待していないらしく部屋を出つつある背中に答えた。死んだ夢だよと。神田の動きが止まった。
「――安らげる夢だね。じゃあまた午後に」