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仲間の死には慣れている。地下は自分たちにとってあまりに過酷であり世の中には運不運というものが歴然としてあるからだ。しかし安置室に並んだ三つの屍を前にして津差龍一郎(つさ りゅういちろう)はやるせない思いを抑えられなかった。理由はいろいろあったが、最大のものはそれが自分の不在中に起きた死であることだろう。精鋭四部隊の一角として本日の護衛に備える意味で津差は昨夜十分な睡眠を命じられて従っていた。彼らが死んだとき津差が何をしていようとその運命は変わらなかったにせよ、その死の瞬間自分は惰眠を貪っていたという意識は心の奥で罪悪感という名の毒を湧き立たせていた。しかしそれよりも根源的な問題があった。津差は安置される死体の前で両手を合わせると、顔を覆う白布をとりあげる。頭蓋を割られたというその顔は、しかし血をぬぐい裂けた部位をつなぎ合わせた今では造形に異変を感じることはできない。青白く血の気の引いた様子からさすがに生きているようには見えないが、なんだかよくできた人形のように思えた。
安置室の扉が開いた。津差さん、と声がする。昨夜の襲撃を生き延びた太田憲(おおた けん)だった。襲撃を撃退したあと部屋に戻りこれまでずっと眠っていたのだろう。少しやつれはしても疲労は感じられない表情に頷いた。そして頭を下げた。それまでずっと一緒にやってきた仲間のはずだった。それなのに、もっとも危険な瞬間に自分は眠っていたのだ。
一度下げてしまうともう頭があげられなくなった。そんな肩に太田がそっと手を置いた。
「立派だと思いますよ」
顔だけあげてその顔を盗み見る。三つの死体を眺めるその表情には少なくとも悔恨は見られない。
倉持さんが奴らの接近を感知してから、アマゾネスたちが飛んできて後ろから挟み撃ちにするまで1分30秒でした。相手は200匹以上いました。1分半も俺たちは持ちこたえたんです。これくらいの犠牲者は少ないってものじゃありませんか? そして、一番役に立ったのがあの二人です。津差さんは――
太田は男にしては小柄だった。だから頭を下げても自分の方が少しだけ視線が高い。どうしても相手を見下ろしてしまうこの体格を、今はものすごく疎ましいものに感じる。
津差さんはずっと海を信用していませんでしたよね。あいつは確かにふらふらしているところがあった。詩のためにこの街にいるって言いながらもじゃあどうやって詩で稼ぐのかってのが俺たちにはまったく見えなかった。多分本人もわかっていなかったんじゃないかな。何のためにこんな危ない場所に来ているのか、是が非でも生き延びて達成したい目的はあるのか、津差さんはそういうことで不安に感じていたでしょう。生きることへの執念がない仲間はいつか落とし穴になるものだと思っていませんでした?
言い当てられ津差は愕然とした。自分では隠せているつもりだった。しかし態度の端々にもしかしたら現れていたのかもしれない。少なくともこの男が正確に読み取ったくらいには現れていたのだろう。それではもしかして本人にも悟られていたのだろうか。
いなかった、と考える理由はなかった。屈託なくジョッキをぶつけてきた数日前の顔を思い出した。自分に信頼されていないと実感していながらあの笑顔を向けていたのだとしたら、内藤の心にあったものはなんだったのだろう?
昨夜の三人の死の原因に、海の不覚悟というものはありませんでしたよ。うん、少なくとも――と太田は続ける。
「少なくとも、夕べのあいつは認めてやってほしいな。あいつが頭を割られたのって接近戦が始まってすぐ、横穴を伝った奴に殴られたんです。それからずっと気にもしていないように術を使いつづけ、治療術師が誰も気づかないくらいだったんだから。そして神田さんの術が炸裂して援軍が来たとわかってようやく倒れた。勝手な想像ですけど、殴られた時に助からないってわかったんじゃないのかな。だから治療のために術を使わなくなる瞬間を惜しんだ。あいつと佐藤がいなかったら真城さんたちは俺たちの死体とご対面でした」
津差はしばらくの間、二人の遺体を眺めていた。そういうことじゃないんだ、と言い返したかった。自分が危惧していたのはまさにこれだったのだと。自分こそが生き延びようという気持ちの希薄さが、他の人間を生かすための無茶につながるのではないかという恐れだったのだと。そしていまその通りになった。すぐに治療すればもしかしたら治ったかもしれないのに、そして誰でも即座の治療を要求する権利があるのにそれを行使せずに死を受け入れる。確かにその行為によって他の八人が助かったのだろう。戦局全体を掴んでいた太田がいうのだからそこに間違いはないはずだ。だけど自分が死んでしまってそれでいいのか? と問いたい。特に内藤には問い詰めたかった。津差は妹と会っているのだ。兄を心から心配する瞳を見ているのだ。
しかし言葉にならない。昨夜自分はそこにいなかったのだから。すべてがただ悲しかった。
静かに太田の名を呼んだ。
「遺族への連絡は俺がするから」
「お願いします」 ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。受取る指先、体格に似て太いそれがかすかに震えた。表面に現れた動揺はそれだけだった。