地上で待機していた高田&星野隊すら臨時に出る必要がなく、第二期の一〇部隊による第一層の移動護衛だけで工事が全て終了した。最終日、一番大変だと思われていた第四層だったけれどもたくさんの助っ人のお陰で無事に済んでよかったと思う。俺も午後から詰め所で待機して第一層の移動を手伝ったけどまったく問題がなかった。終わった。ほっとした。
荷造りはすべて済んで、午前中のうちに全部実家に送ってしまった。コンビニから送ったけど織田さんがすごく喜んでくれた。俺とはほとんど話したこともなかったのに、そんな関係の人間であっても無事に出て行くのは嬉しいのだろう。やっぱりきつい街だな、ここは。明日はどこに行くの? と訊かれたのでコースを伝えたらぜひ昔の町並みを見ていってもらいたいと地図を書いてくれた。あと、時間があったら彼女が通う京都産業大学にも行ってみる予定。「びっくりするよ!」だって。考えてみたら俺は自分の通う大学と、大昔の彼女が通ってた富士短期大学しか知らないんだよな。指定校推薦だったから受験で大学めぐりはしなかったのだ。だから楽しみだ。明日は晴れるし自転車で回ってみようか。ちなみに俺の無印マウンテンバイクは常盤くんに売ることにした。明日は磨いてやらないと。こいつも役に立ってくれたから。
夕方からはゴンドラ設置パーティーが行われた。最初は探索者有志でいつもはちょっと手が出ない和洋中の高価格料理を食べようというお話だったのだけど、偶然通りがかって耳に挟んだ理事の笠置ママと後藤さんの
「そういうことやるのにどうしてうちに費用とか飾り付けとかビンゴの景品とか請求してくれないんですか!」
「ご、ごめんなさい」
という会話の結果いきなり参加費無料になった。それにしても、後藤さんというのは面白い人だ。そうやって進んでお金を出そうとしているのに、そしてゴンドラができる日程を熟知している責任者なのに、自分ではパーティーをやろうという意識はないみたいだから。ゴンドラ設置もこの人には単なるステップでしかなかったのかな?
明日の日記を最後にして、明後日からはこの日記は一般公開される。そのために今朝読み返していて思ったのだけど、俺って実はすごく個人攻撃をしていたのだった。津差さん部隊の幌村幸(ほろむら みゆき)くんに対して。どうしてこれまで誰からも苦情が出てこないのだろう? と彼と仲の良かった人に訊いたら「別にいいじゃん」 で済ませてしまったのだそうだ。かなりひどいことを書いていると思うけど。
で、その幌村君は昨日の作業終了後にこの街を出て行った。そしてもう一つ不思議なことを津差さん部隊の太田さんから聞いたけど、幌村君は俺たちよりも遅くここに来て、津差さんはその才能を天才に近いと表現していたけれど、それでも常識的に児島さんより先に行っていることはありえないはずだ。でも、23日の夜の攻防では重傷を負った進藤くんに対してどんな傷も一瞬で直してしまう最上級の治療術を使ったらしい。児島さんでもまだ無理、探索者中でも10人といないはずなのに、どうして幌村君が使えたのだろう。最後に謎をたくさん残して去っていったな。とりあえずこの文章をもってしてフォローにかえ、苦情もないことだし俺の個人攻撃部分も残すことにした。個人攻撃をするような人間だということを読んでいる人にわかってもらったほうがいいだろう。
探索者には嬉しいニュースが発表された。国村さんが会社を辞めてこの街に住み着くのだそうだ。とはいえ探索者になるのではなく、生き延びるための効率的な体の使い方などを学ぶ教室を開くつもりらしい。国村さんの身体能力教室か・・・。しばらく東京に戻るのは延期して通いたいぞ。これのお陰で、死亡確率は少しだけ下がると思う。講師はとりあえず国村さんと鈴木さんで、おいおい教官たちにもお願いしていく。事業団が車体だけ作った迷宮探索という車は、商社がレールを引くようになり、探索者がエンジンを整備するようになった。これは一つの契機だろう。国村さんとちょっと話す機会があった。自分には、みなの生存確率を上げる能力があることは知っていたと、でも決心がつかなかったと言っていた。藤野さんが腕の中で死んでようやく自分のやるべきことを理解したのだと。俺にも講師に加われと冗談を言っていた。
材料面で商社のてこ入れがあったらしく素晴らしい料理の数々で、みんな飲んで騒ぐより食べる方に夢中な夢のようなパーティーだった。お陰でそれほど酔いはまわっていない。明日は朝から行動できそう。ちなみに明日の夜は俺の送別会を有志でやってくれるという。最後になってタダ酒を二日飲めるなんて夢みたいだ。