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この二日間で屈辱とともに思い知ったのは、人間はついに追いかけっこでネコに勝てないという事実だった。だから、久米錬心(くめ れんしん)からの電話で迷宮街の南外周部にたどりつき、ベンチに座り本を読む神田絵美(かんだ えみ)とその隣りでおとなしく丸くなる星野チョボ(ほしの ちょぼ)を見たとき、笠置町翠(かさぎまち みどり)は捕まえようと逸る越谷健二(こしがや けんじ)を厳しく押しとどめた。
(一つ試したいことがあるんです)
越谷は津差より一つ上の27才。探索者の年齢分布では26〜7才がもっとも多い。顔の右半分に大きく浮かぶ青あざが見るものをはっとさせた。探索者中でも際立つ戦士としての実力とあわせて『青面獣』というあだ名を奉られていた。
(どんな?)
足音を忍ばせて二人の背後に近寄る。30メートルほどに距離を縮めると、ポケットから小さな桜貝を取り出した。つまむ指先に力をこめると桜貝はぼろぼろと崩れ落ちる。周囲に迷宮内部に特有のむっとしたエーテルが充満した。
実戦で使ったことはない。だがやり方はわかっている。脳裏にいくつかのイメージを結ぶと、周囲のエーテルが前方の二人のもとに押し寄せていった。越谷が息を呑む気配が伝わってきた。
そして、神田の身体から力が抜けた。文庫本がぽとりと地面に落ちる。
三毛猫は走って逃げていった。
すべてが終わってから、越谷は感嘆の声をあげた。
「すごいな! 君は魔法も使えたのか!」
額の汗をぬぐいながらうなずく。彼女は登録自体は戦士としてしているが、実際は違う。魔法戦士という、重いツナギを着けて鉄の剣を振り回しながらも魔法を使える、高度な精神修養を必要とする上級職だった。もともとそんな素養のある人間など――彼女のように家庭の事情がない限り――ありえないから迷宮街では訓練場を設けてはいなかったために、探索者でその存在を知っている人間はまれである。翠にしたところで自分の故郷を考えても父親と従兄しか知らなかった。ちなみに従兄――水上孝樹(みなかみ たかき)は剣を振るいながら治療術を使うことができる。
「それに、神田さんを縛るなんて――実戦で打ち合ったら俺がやられそうだな」
一度さんざんにやられた剣士に誉められて、少しいい気分になる。
「でも当面の問題として、それでもチョボには逃げられたわけだが。なんで熟練探索者にかかって小さな脳みその生き物逃す?」
「まったくです」
しょんぼりとうなだれた。