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探索者の戦士たちも第四層に降りるあたりになると、各人の個性や優劣が出はじめると彼らは言っている。いわく、星野幸樹(ほしの こうき)は突き技に長け、真城雪(ましろ ゆき)は鉄剣の重量と遠心力を利用する跳躍戦法のが巧みで、野村悠樹(のむら ゆうき)は空手の足技と絡めて変幻自在、そして越谷健二(こしがや けんじ)はそれらの全てを越える技量を持つ――だそうだ。訓練場で彼らを日々しごいている橋本辰(はしもと たつ)からすれば、何を言っているのやらという印象がある。彼らはまだ各人の個性を云々できるほど強くない。
初めて竹刀を握ったのは小学三年生のとき。自分は世界を獲れると思った。夢は剣道日本一。大まじめで学校の作文に書いた。
その夢をあきらめたのは、中学校の顧問が彼をある老人に紹介したからだった。遠州さんと皆から呼ばれているその老人は中学生の橋本と立ちあった。もとより子供と大人の立会いだから、子供にいくら天分があっても勝負になるはずもない。それを言い訳に自分を慰めるべきだった中学生は、その天分ゆえか一つのことを思い知らされていた。このままでは、このおじいさんの歳になっても自分はこれほどにはなれない。なれる才能はあるのに。
弟子にならないか、その代わり、大会だのなんだのはすっぱりあきらめてもらうが。
遠州の言葉に一も二もなくうなずいた。
遠州は自分のことを『人類の剣』と呼んでいた。この国にほんの百人程度、世界中で数えてもニ〜三万人ほどの『人類の剣』たちは、いざ人間が即応できない事態が起きたときに盾となるべき義務を負うという。中学一年生の精神は、その輝かしい任務をすんなりと受け入れた。「バカじゃねーの」と思うような年頃になるときにはすっかりそんな言葉は忘れていた。人間が即応できない事態など滅多に起きるものではないのだ。
能力だけが高まっていく日々。年老いた遠州を越えたある日、彼は皆伝を申し渡された。そして「ことある時には――ないと思うが――自分より強い者たちをよく補佐するように」と。頷きながらも驚いていた。遠州を越えた今になってもまだ自分より上がいるのか?
確かめる機会もないまま結婚し子をなした。もう中学生になる息子には基礎的な剣術くらいは教えている。素質は平凡だったから健康になってくれればいいという程度だった。『人類の剣』などという考えを思い出すのは、遠州の命日の朝くらいだった。そして大迷宮が出現した。
名簿があったらしい。自衛隊による探索を補佐するために協力してくれないか。そう笠置町隆盛(かさぎまち たかもり)に頭を下げられたときに即座に応えたのは、彼が遠州の言った自分より強い者だと実感したからだ。勤めていた会社を辞めて京都に引っ越した。当初は隆盛とともに自衛隊の護衛を果たした。自衛隊による探索から迷宮街開設につれて、ごく自然に訓練場の教官になった。この強い男が自分を必要とする。世界で二番目ではないかもしれない。しかし、日本ではどうやら二番目にいるようだ。そう信じはじめていた。笠置町隆盛とは一一年の年齢の違いがある。彼の年になるときに越えればいいのだ…・…。
迷宮の第九層を歩きながら、そんな昔のことを思い出していた。
「敵です。およそ150メートル前方。大型獣四匹」
訓練場で罠解除師の訓練を管理し、彼と同じく『人類の剣』の一人である洗馬太郎(せば たろう)がささやいた。地下に充満するエーテルを察知することで、自分たちが耳や目でつかむよりもはるかに広い範囲が彼の意識野に取り込まれていた。潜水艦のソナーの印象をもっている。
「警戒」
隆盛が静かにつぶやいた。そのまま歩を進める。50メートルほどまで近づいたとき、向こうもこちらのヘッドライトに気づいたようだった。後続が各自のランタンを一杯に広げ、まぶしくはないが動くには十分な程度に青白い光が広がった。
獣の一匹は青銅を思わせる肌をした水牛で、目が赤くらんらんと光っている。残りは毛皮に覆われた四肢に、いくつかの種類の動物の頭が生えている分類不能な獣だった。どちらもカバほどの大きさがあった。
「20メートルで、孝樹と辰は散開しろ。後続はおのおのの判断。私は牛を、二人は後ろのを各人しとめること。とりあえず一匹は残していい」じりじりと距離を縮めていった。
ぴったり20メートルの距離で水上孝樹(みなかみ たかき)と橋本は左右に走った。隆盛はそのまままっすぐに走る。隆盛が大きく踏み込み日本刀を振り下ろす様子を横目で見た。固そうな水牛の頭部がぱっくりと割れ、前肢を折り曲げて倒れた。静かに、すばやく。完璧な一撃と感嘆の気持ちを抑えられない。そして橋本も距離をつめて獣の頭の一つに鉄剣を叩き込んだ。切っ先はライオンを思わせる頭蓋を簡単に砕き、刀身の半ば以上がめり込んだ。そのまま力ずくに横に滑らし、トカゲの首の付け根にめり込ませる。ひゅごう、と頭の上で声がした。見上げるとトカゲの首はまだ力尽きておらず、陰になっている口の中でちろりと炎が燃えた。大きく吸い込んだ息を吐き出すとき、あの炎はどうなる? 危険信号に無我夢中で篭手に包まれた右腕を叩き込んだ。トカゲの顎が砕ける感触があり、前肢が崩れた。
「水上さん、こいつは炎を――」
彼に向かっていった二頭は自分が倒したものと同じ種類だったらしく、ライオン、トカゲ、ヤギと三つの首があった。それらは全て一点を向いており、そこに水上がいるのだとわかった。そして、計六つの首がすべて消失した。
横倒しになる二体の四足獣。その躯の向こうで無造作に鉄剣の血脂を振り飛ばす若い男を呆然と見つめた。自分がこの瞬間日本で三番目以下になったことを悟った。