16:20

四時を過ぎると今日の探索を終えた連中が使用した武器防具が運び込まれてくる。現場のチーフである片岡宗一(かたおか そういち)にとっては一番あわただしい時間帯だった。ひとつずつの状態を見極め、誰なら任せられるかを考え、てきぱきと割り振っていく。一人一人の熟練度を完全に把握していないと残業が待っていた。ちなみに彼ら鍛冶師は13時から20時が勤務時間だったので、残業という言葉の持つ重みが通常勤務のサラリーマンとは違う。この時間は一秒だって貴重だった。
だから、ひとつのものに視線をくぎ付けにするなどということは珍しいことだった。それが起きた。
「…・…なんでこんなところにいるんですか?」
呆然と訊いた相手は笠置町茜(かさぎまち あかね)という名前の中年女性だった。小太りで穏やかな笑顔を浮かべる彼女は片岡の上司にあたり、迷宮探索事業団の理事という役職にいたからこの街にいてもなんら不自然なことはない。驚いたのは、つい二時間前に木曾にある彼女の家に電話をかけ会話をしていたからだ。確かに「ちょっとそっちに行くから」と言われて電話を切られたが、ちょっととは数日後のことだと思っていた。
自分の作業をサブチーフに命じて理事を別室に通した。彼女は二人を従えていた。魔法使いの教官である鹿島詩穂(かしま しほ)と探索者の一人で最強の戦士として呼び声高い越谷健二(こしがや けんじ)だった。話題はおそらく、彼が迷宮街から手に入れ、その剣に埋め込んだ金属のことだろう。先ほどの電話の内容だった。
鍛冶師の建物には可憐な事務女性などはいない。指先が油とやけどで黒ずんだ屈強の若者が四人分のお茶を並べて退出してから、理事はまず使った人の感想を聞きたいと若い戦士の顔を見た。顔の半分を青あざに覆われた精悍な顔が緊張しているのは、彼ら探索者にしかわからない重圧を感じてのことらしい。
非常に効果があります、と彼は言った。それは想像していた回答だった。昨日、実戦を終えてきた彼の剣(試作品)と彼の仲間が使用した剣を見比べて検分した結果、彼の剣の損傷はないに等しいものだったからだ。仲間の剣がかなりの金属疲労を起こしていることを勘案に入れても、相当な硬度を実現していることを示していた。意見を求められてその旨を答え、そして付け加える。
「今回は鍔の位置に石を埋め込み、鉄の成分率も他のものと同じでした。それらを変えて試してみたいと思います。たとえば硬度が上がっている以上、これまで靭性を優先するために見送っていたチタンやシリコンの調合も試してみたいと思いますし」
一種類の試作品を作るのにどれだけの時間がかかるか? と問われ、六日と答えた。数人の戦士を選抜して、二回ずついろいろな調合の剣で戦ってもらい、感触を聞いていきたい。電話で話したその意見を残りの二人にも聞かせるつもりで繰り返した。二人とも深くうなずいた。課題は? と理事が促す。鹿島がノートを見下ろしながら鉛筆の尻でこめかみを掻いた。
「まずテストに協力する戦士のリストアップですね。いろいろな体格で、少なくともここしばらくは死んだり辞めたりしない方を。これは橋本さんにお願いしましょう」
片岡が手を挙げ注意を促した。
「剣の場合は硬度アップも剛性アップもどちらもメリットしかありませんが、防具の場合は別ですよ」
それは昨日から考えていたことだった。
「硬度の上がり方、その影響の広がり方を詳しく調査すれば、ツナギの金属糸を強化することもできると思います。そうすれば確かに切り裂いたり突き刺したりするものへの安全性は高まるでしょう。けれども問題は殴打ですね、硬度が上がって剛性が上がるとその分だけ身体に衝撃がきてしまいます」
「いえ、それは大丈夫だと思います。少なくともこの石が取れる第四層くらいまで降りてきている戦士は、単なる打撲の衝撃なら最小限にする体さばきは備えていますから。問題なのは切られたり刺されたりです。衝撃への防御力はある程度なら犠牲にしてもかまいませんよ」
なるほど、とうなずく。喧嘩ばかりするんじゃなくてそういう話もせにゃならんなとつぶやいた。
「そういうことならなるべく軽量化して、そのぶん生地を訓練場で使うものに似せるように考えてみます。これも試行錯誤ですね。ところで何より一番大切な問題なんですけど、実験をしようにも石が圧倒的に足りません」
「しばらくの間、探索者から高額で買い取るのはどうかしら」
理事の提案に越谷が難しいだろうと答えた。すでに戦士たちにはこの情報が行き届いている。全員を生かす実験のために寄付するのはまず自分が石で完全武装してからと誰しも考えているはずだった。まだ手に入らない階層にいる人間たちも金で手に入れようとする可能性が高い。安定した供給は望めなかった。
「越谷さんも、次に手に入れたら私たちに売るつもりはありませんか? 相応のお金はお支払いいたしますが」
鹿島がどことなく甘えるような口調で尋ねたが、青面獣とあだ名される男はあっさりと首を振った。まずは星野さんの剣に、というシンプルな回答だった。全員が押し黙る。探索者が賭けているのが命である以上強制できる問題ではなかった。
「詩穂に――」
突然自分の名前をつぶやかれて、訓練場の教官が怪訝そうな顔をする。
「久米くん、橋本さん、洗馬くん――うちの旦那、あと…・…誰かいないかな」
「何がですか?」
「もっと深い階層まで降りて、石だけを専門に集める部隊を組めないかと思って。訓練場の四人プラス旦那、あと一人前衛がほしいけど――越谷くんやる?」
「橋本さんが動員されるような部隊だったら、瞬時に死にそうな気がします」
「だよね。うーん、孝樹かな。あの子も土曜日だけならできるかな。どっちにせよ、訓練場をそんなに閉めるわけにもいかないしね」
よし、と手を打った。
「集める部隊は私がなんとかします。他に課題は?」
全員が顔を見合わせる。じゃあ閉会、と理事が立ち上がった。スーパーで夕ご飯の材料を買っていこうかな、今日はタマゴが特売でしたよ、と会話をしながら出て行く背中を見送り、片岡は壁の時計を見た。午後四時半だった。これから木曾に帰り夕ご飯を作るつもりでいるのだろうか? まさかな、と首を振って否定した。