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「お宝とりまーす!」
いつもはつまらなそうにしている娘の元気な声に、恩田信吾(おんだ しんご)は何かいいことがあったのだろうと嬉しく思った。罠解除師の鈴木秀美(すずき ひでみ)は見かけにも年齢にもよらず豪胆な娘で、それは仲間として頼もしいことではあったが、せっかく愛らしい外見、挙措をそなえているのだから地下に華を咲かせてくれてもいいじゃないかと常々思っていたから。治療術師の今泉博(いまいずみ ひろし)が彼女の後ろに立って、肩に手を置いた。心身の調子を整える技術をよくする治療術師は、罠解除師の感覚を高めることで化け物がのこした罠の解除を補助することができる。
「怪我した奴は?」
誰もいない、という返事にうなずいた。上出来だった。初めての第二層挑戦だったのだから。敵は第一層に出てくる骸骨と同じように、人間型生物の死体が迷宮内のエネルギーに操られ動いているものだった。迷宮街ではバタリアンと呼ばれている。恩田の知らない昔のホラー映画の化け物の名前らしい。
いい調子だな、と戦士の一人西野太一(にしの たいち)が話しかけてきた。恩田は笑顔とともにうなずいた。
自分は不運を撒き散らす星の下に生まれついたのではないか、と恩田はおそれていた。彼の迷宮街でのスタートは第二期の中では遅いものではない。二日目にテストをパスして、第二期の第一陣として初陣を経験した。そこで部隊が壊滅した。小寺雄一(こでら ゆういち)、吉田さつき(よしだ さつき)という二人の仲間を失い、小俣直人(おまた なおと)と大沢真琴(おおさわ まこと)という仲間を駅ホームで見送った苦い記憶がある。その後仲間を募りながら代打の戦士として二つの部隊で剣の腕を磨いていた。菱沼洋平(ひしぬま ようへい)が率いるものと高坂新太郎(こうさか しんたろう)が率いるものだった。菱沼の部隊は恩田が参加した次の探索で、そして高坂の部隊もまさに昨日壊滅し誰一人戻るものはない。四部隊二〇人と関わって三部隊一二人が既にこの世にいない――地上で笑い交わす誰よりもそばに死神を感じる。
大丈夫だ。
この部隊は大丈夫だ。自分も含め逸材とはいえない(たとえばチーム笠置町とは比較にもならない)メンバーだったが、地下に下りたときになぜだか安心感が包んだのだ。絶対的強者に守られているような感覚が。そのためか、各人のびのびと実力を発揮できているようだった。そして慎重にことを進める限り、実力を発揮できればそれで十分なのだった。
この安心感はなんだろう? とたまに思う。代打で一度加わってもらった児島貴(こじま たかし)によれば、彼らの部隊でもそんな安心感があるのだという。確かにその部隊には笠置町姉妹という天才たちがいるから納得できるのだが…・…。
「恩田さん」
鈴木の声が思考をさえぎった。その声はかすかに緊張していた。
「開放性の罠です。おそらく、失敗したら全員もれなくエーテルで殴られます。解除できるとは思いますがどうします?」
「自信は?」
怪物の死体は切り取ってある。だから見捨ててもかまわない。けれども、迷宮内で手に入る石を活用することで武器防具を強化できることがわかっているからできる限りお宝は手に入れておきたいところだった。
鈴木は膝をつく自分の背後に立つ同い年の男を見上げた。今泉の顔は信頼に満ちている。それが娘の顔から逡巡を拭い去った。
「やります。全員、対ショック姿勢を」
両手をひらひらと動かす。戦士の素質しかなかった恩田にはわからないが、その指先は治療術師や魔法使いと同じようにエネルギーを操作しているのだそうだ。相変わらず器用だなあ、と魔法使いの八束忍(やつか しのぶ)が感心したようにつぶやいた。その直後だった。
「あ、ああっ! 対ショック!」
その叫びに恩田をはじめ全員が両腕を顔の前で交差させて備えた。全員心構えがあるし水ばんそうこうも沢山持ってきている。最悪の事態はないだろうと思いながら。
予想された痛みがいつまでたっても来なかった。視界がだんだんと情報を取り入れようとし――そして愕然と周囲を見回した。あわててヘッドランプの明かりをつける。浮かび上がった小野寺正(おのでら ただし)の眩しそうな顔。しかし恩田の視線はその背後に縫いつけられていた。
第二層の壁面は溶岩を思わせるごつごつしたものだったはずだ。だが、これは――たとえば秋吉台の鍾乳洞のように、水で磨かれた石灰岩を思わせる。
「全員いますか? 番号」
五、と八束の声を聞いてひとまず安堵する。そして彼に現在地を調べるように命じた。魔法使いには自分の現在地を調べる方法がある。それと配布されている地図をあわせれば、いつでも帰り方を知ることができるのだった。
「そ、そうだな」
慌てたような返事は彼も呆然としていたことを示していた。こんな壁面は見たことがなかったし、さらに、ここには電気設備が設置されていなかった。各人のヘッドライトを除けば、うっすらと横穴から漏れてくる明かりでぼんやりとお互いのシルエットがわかる程度だった。
「第四層だ」
その言葉にしんと静まり返る。
「それも、未到達地区だ」
それは予想通りの、最悪の返答だった。
「鈴木さん、自分を責めるな。運不運はつきものだからな」
やっとの思いでそれだけを言った。電気設備がない、ということは電話線も通っていないということ。今日はじめて第二層に挑んだ部隊が第四層から自力で帰還することは絶望的に思えた。すぐ隣りに死神を感じる。