京都の冬は厳しいというけれど、まだそれほどは実感していなかった。理由はいくつかあると思う。去年の寒さなんてそれほど意識していないというのが一つ、明らかに東京にいた頃より筋肉の量が増えたので気温に左右されにくくなったというのが一つ、そしてなにより冷蔵庫の中に毎週降りていく生活をしているから寒さには鈍感になっていると思う。
明日もぐったら今年の探索は終了、明日の夕方から青柳さんはどこかのお寺の行事に出席するということで明日は第二層とエディの部屋だけということに決まった(第三層に降りるまでの一本道が長いのだ。そこだけで一時間くらいかかる)。よって今日の訓練もお休み気分でジョギングとストレッチ、筋トレだけ午前中五時間で済ませた。
午後からは京都駅前で洋服を買う。ゼロが五つもあるようなものを買う勇気はまだなく、でも伊勢丹なんだから出世したと言えるだろう。明日は10〜15万くらいの稼ぎだとして、先月アタマから60日間、三日に一回ずつ潜っているとして20回もぐった結果の現在の貯金額は181万6000円になった。今日ひさしぶりに記帳してびっくりした。いつもATMのレシートは見ずに捨ててるからな。
夜からは笠置町姉妹の両親である理事夫婦とお話をした。お父さんの隆盛さん(で漢字はいいのかな? 初日にもらったパンフレットに当然名前があるだろうけど、二日目くらいに捨てちゃったから今すぐは調べられない)は少し前から毎週一度は訪れて地下に潜っているらしい。第何層くらいに行くんですか? と訊いたら第九層と答えが返ってきた。そんなに深いのか。第十層は座標の特定が難しく、瞬間移動の魔法を使っての救助ができないために放置しているのだそうだ。だからそこよりももっと深いのかもしれないと言っていた。
精鋭部隊のメンバーは訓練場の教官たちと隆盛氏、そして翠の従兄の水上孝樹(みなかみ たかき)さんという方だ。前に書いたかな? 身長は俺とそう変わらず、でもものすごく強い人だ。訓練場の橋本教官とどちらが上か? という答えには「二人とも同じようなものだが、信頼がおけるのはやっぱり橋本」らしい。年齢が上ということもあるけれど、そこまで能力を高めた過程が違うのだそうだ。笠置町姉妹や隆盛氏、水上さんなどは特別な家系に生まれたのだが、橋本さんや笠置町姉妹のお母さんである茜さんなどは普通の生まれをしていたのがその高い素養を見出されて鍛えられたらしい。笠置町ママや橋本さんは「遠州産」と呼ばれている。師匠が「遠州」と呼ばれる老人でとても厳しく、「遠州産」は粘り強さに定評があると言っていた。笠置町夫人は7才で弟子入りして12才で卒業、やっぱりつらかったと笑っていた。ちなみに才能にあふれた魔法使いである葵は6才から始めて21才の今にしてまだすべての魔法を使いこなしていない、つまりその母親の12才に達していないわけで、師匠の厳しさと笠ママの才能が思いやられた。この人は世界で100人程度日本でも2人しかいない、地上でも自力で最高難度の魔法が使える超人だという。ぱっと見ただけでは保護者会に――いや、おしゃれだから卒業式の謝恩会だな――に参加する母親にしか見えないけれど。
どうしてお嬢さんにこういう技術を教えたのですか? と直截な質問が神田さんからあった。隆盛さんは相当酔っていて、心身の鍛錬うんぬんと始めたけれど、その奥様がにこやかに「国から助成金がでるから」と切り捨てた。毎月10万円、彼らの長老が認めるほどの技術を身につけたと認定された人間には維持費が与えられるらしい。一度認定されたら取り消されることはないし、こんなことが起きるなんて思ってもいなかったから得に感じたのだそうだ。二人で20万、その助成金がなかったらとても娘二人を育てるなんてできなかったと隠れた達人の述懐である。
そうはいっても娘二人にはそこまでは望んでいないらしく、鍛え上げて普通の人間とは違ってしまった感覚を現実にあわせて矯正するために「身の程を知らせるために」迷宮街にやったのだそうだ。この二人の動機は最下層にあるわけじゃないんだな。やっぱりこの迷宮を切り開くのは青柳さんのように特別な感情を抱いているひとの役目なのだろう。
そのほかには農業のこととか人間のこととかいろいろお話をした。そのあとで突然座興が持ち上がった。津差さんと隆盛さんとの相撲である。隆盛さんはハンディとして両手親指を背中で結んだ動きにくい姿勢。それでも一七秒で転がされていた。津差さんのタックルを両肩で受け止めるのだからとんでもない。その後神足さんや葛西さんなどが挑戦したがみな30秒もたず、探索者最強の越谷さんが1分10秒と貫禄を見せつけたがみんなレベルの違いを思い知らされることになった。
俺もやりましたよ。真城の姐御が何を考えたのかそれまでの賭けで獲っていた40万円程度を「一分以上もつ」に賭けた結果、まっとうな鑑定眼を持つ人たちが「もたない」に張って大変なことになった。それは別にかまわない(人の金だしね)のだけれど「いや真壁じゃ一分もたないだろ」「もっと早いだろ」とか言われるとなんだか男として失格のような気がする(何のことやら)。
結果は42秒だった。よくもった方だと誉めてやりたいし、何より力を入れた隆盛さんが親指をしばるひもを引きちぎってしまったことが自信になった。それだけ本気を出させたということじゃないだろうか? 結果は俺の反則勝ちで、たった一人俺の勝ちに賭けていた翠が総取りかと思われたが金額が100万を超えていたので理事の横槍でドローになった。
大健闘の秘訣は思い切り身体を落として動きが大きいけど予想しやすい太ももを抱えるようにしたことかな。それまでの相撲を横目で眺めていてわかったのは、距離をおいたら強力な突進で跳ね飛ばされるし、かといって肩や骨盤などのよく動く部分をつかんだらいなされて転ばされてしまうのだ。それがわかったのも国村さんから人間の動き方を常に考慮する思考法を叩き込まれていたからだな。それでも隆盛さんは強力だった。何しろ、ほんの小さな動きで上から肋骨を落とすだけで身体がペシャンコにつぶされそうになるんだから。動きの一つ一つが思い出される。怪物相手の100回のチャンバラよりもいい経験になったと思う。
ご夫婦は鈴木秀美さんをすごく気にしていて(ご両親とは知り合いらしい)誘ったのだけど断られてしまった。見かけなかったから実家に戻ったのだと思ったのだけど、この街にまだいるらしい。ずっと部屋にこもってしまっているそうだ。心配だな。