07:08

分解できずに50キロを越える部品は重力遮断で重量を減らして運搬することになっていた。だから目の前の太い鉄柱を束ねた山はその対象なのだろう。こんな巨大な塊をどう運ぶのか想像もつかないが、ともあれ自分のするべきことをするだけだ。作業はいくらでもあり時間は少ないのだから。鹿島詩穂(かしま しほ)は自分の背丈ほどもありそうなその山の前で目を閉じた。意識の触手を伸ばしその物体にからめ。塊としての情報が全て脳裏に描けるようになったら均等に重力の影響を遮断していった。習得してからずっと毎日訓練しているだけのことはある。我ながらスムーズに制御できていると思う。
それは油断だったのか? 総毛だつ感覚の直後に意識の触手が乱暴に引きちぎられた。予想外の異変に目を見開くがその視界には圧倒的な存在感を誇っていた鋼鉄の円柱の山は見られない。さては――頭上を見上げたが迷宮の天井には穴などあいていないし、何かがぶつかった様子も見られなかった。
「ほらほら詩穂、さぼってないでこっちの軽くして!」
背後の声に振り返る。理事の笠置町茜(かさぎまち あかね)がドリルなどをつめたコンテナを指差していた。はっと思い至る。
「茜さん、ここにあった鉄柱をどうかしましたか?」
「え? 運ぶの大変そうだから一足先に穴の淵に飛ばしたけど」
他者を強制転移させる術が世の中には存在する、とは聞いたことがあった。しかしそれは伝説の中の話であって「八歳でハーバード大学を主席卒業する天才児」や「オレンジ色の光で人間を気絶させてチップを埋め込む小さな生物」や「元特殊部隊員でテロリスト集団を一人で退治しつつ美女とキスする合衆国大統領」と同じ種類のものだと思っていたのだ。
それはともかく、と無邪気に視線を移しては巨大な部品を消滅させている理事を見て思った。どうやって術を使っていくかもう一度計画を練ってこの人を御さないと、好き勝手にやらせて引っ掻き回されたらすぐに疲れて気絶してしまう。
 

 08:20

洞窟というのだから富士のふもとの風穴や氷穴を思い浮かべていたが、それは良いようにも悪いようにも裏切られた。あれほどには狭苦しくなく、電気が完全に通っているので暗くもないことは嬉しい予想外だった。しかしライトは両側の壁から照らされるために自分たちの影は長く伸び、その長い影でも左右の壁面には達しないことがその広さを実感させ心細くさせた。目を凝らした壁面にはいくつもの切れ目がある。同行する探索者たちが常にその切れ目に視線を置いていることからも、そこには雰囲気だけではない実際の危険があることが想像できた。探索者たちの緊張は自分たち作業員に重くのしかかり、若い奴らは自然と神経が昂ぶっているようだった。名栗透(なぐり とおる)のすぐ脇で交わされる会話は普段ならば声を潜めて秘して行われるべき種類のものだったが、動きの少ない洞窟の空気を広範囲にわたって震わしそして本人たちもそれを改めようとしないのはやはり常態とは違うのだった。
秘すべき会話、同行の探索者の一人がいい女だと誉めそやすそれは彼女の耳にも伝わっているだろう、しかし彼女は何も聞こえないか、まったく興味がないかのように視線を壁に当てたまま歩を同じくして歩いていく。そのブーツの裏地につけられた鋲がたまに神経をさかなでる音を立てた。他に生まれる音はといえば自分たちの機材がぶつかり合いこすれ合うものと会話だけに過ぎない。自分たちの集団五人を囲むように二集団の探索者総計一二人が囲んでいるから倍以上になる彼らのほうがよっぽど静かだった。そのツナギにはいたるところに金属製の輪がついておりリュックサックや小物入れやいろいろなものがぶら下がっているが、金属は露出しないようにぶつかり合わないようにとの心遣いから生まれる音はゼロに近い。
真っ赤なツナギを身に付けた若い男が口を開いた。
「敵です。前方65メートル右横穴。こちらに気づいています。青鬼か赤鬼、4匹」
「歩調はこのまま。25メートルで北条部隊は半月陣。壁を利用して皆さんをお守りして。私たちだけで片付けるわ。青柳さんと児島さんは半月陣に加わってください。葵は私たちの援護、常盤くんはそのサポート。真壁さん、もう辞めるからって気の抜けたところ見せないでよね。2匹は任せるわよ」
いい女、と呼ばれていた女性だった。自信に満ちはっきりした下知に彼女より年長者の多い一団がいっせいにうなずいた。無遠慮に噂をしていた若い奴らがその様子にしんと静まった。
「最後まで信頼ないんだなあ俺は。――ああ皆さん。ちょっと騒がしくなりますが、皆さんはきちんとお守りしますので自分の身の回りだけ気を配っていてください」 オレンジのツナギを着た男がのんびりと笑う。
50メートル。赤いツナギの男が平然と口にした。探索者たちの様子はそれまで普通に歩いているときとまったく変わらないようだ。作業員たちは、おそらく自分の奥歯がガチガチと鳴っているありさまと大差ないだろう。
「35メートル。来る」
そこで奇声が聞こえ、名栗は驚いて立ちすくんだ。設置されたライトの死角から沸いて出たかのような小柄で毛むくじゃらの生き物が四匹走り寄って来ている。その手にもっているのは短い剣、そしてその目に燃やしているのは純粋な敵意だった。崩れそうになる膝に両手をつけて支える。手を下げたために荷物袋が地面とぶつかり大きな金属音がした。
上半身からして震えているのだろう、視野はできの悪いハンディカメラの映像のように焦点を結ばなかった。その中でオレンジと緑のツナギ姿が滑らかに動くと小さな生き物は全て地面に倒れ伏した。
「うーわくっそ! 真壁さんもしかしてわざと!?」
「うん、狙った。だっていい女いい女って誉められてガチガチだったじゃん翠」
その会話を聞き女性に視線を移した。ようやく揺れがおさまりつつある視界の中で、わずらわしげに袖で顔をぬぐう姿が見えた。ヘルメットのつばから滴るのはあの生き物の血液だろうか? とりあえず水気だけをふき取った顔は半面が凄絶にどす黒く染まっている。若い奴らは気を飲まれたように返り血にまみれた美少女を眺めていた。
 

 10:30

男の子なら誰だってあこがれる職業があると水上孝樹(みなかみ たかき)は思っている。「運転手さん」がそれだ。それもタクシーなどではなく電車やバスといった巨大なもの、飛行機や船という非日常的なもの、そして工事現場の機械を操作する姿も子どもの心を惹きつけてやまないだろう。少なくとも、第一層だけの作業である今日はのんびり休んでいていいと言われているにもかかわらずに濃霧地帯の奥までやってくるほどには自分の心を惹きつけている。目の前ではキャタピラーで移動するショベルカーのようなものが、壁面に太い鉄柱を打ち込んでいた。うわー、と視線がそこから外せないでいる。時折濃霧地帯の奥から撃剣の音が聞こえてくるが無視した。この階層でわざわざ自分が出張る必要もないだろう。
作業員たちは最初は濃霧地帯の白さに驚いているようだったが、実際に作業が行うあたりは彼らの往来でかなり視界がはっきりしている。支障は何も出ていないようでてきぱきと岩盤を削りボルトを打ち込み足場を組んでいた。
「休憩!」
時計を見て中年の作業員が声をあげると、各人は足場の上でおのおの腰をおろした。人間の動きがなくなれば視界が白に埋め尽くされる濃霧地帯よりは、足場の上のほうが休憩に向いていると判断したのだろう。それはわかる。しかし縦穴の最下層は第四層でおよそ30メートルほどもある空中なのだ。そこの足場で命綱もつけずに休憩できる精神力はどういうことだろう。すごいすごい! と感動を分かち合おうと周囲を見渡すが探索者たちは濃霧地帯の奥で警備にあたっていた。真剣に従妹たちの恋人でも連れて来ようかと悩んでしまった。でも、妹の方にばれたらものすごく怒られるから、呼び寄せるにしても内緒にしないといけない。
そこに自分より少し年上の作業員が通りがかった。名栗さんと声をかける。彼は怪訝そうに自分を見た。警備をするでもなく、かといって探索者から敬意を受けている自分の存在は不思議なのだろうか。それにはかまわず自分も足場に登っていいか? と質問したら命綱をつければ、と快諾してくれた。嬉しい。
「で、命綱はどこですか?」
名栗が眉をひそめて休憩している連中に声をかけた。返答は地上にありますよとのこと。さすがはプロと感動していると、会話を聞きつけた自衛隊員の一人がハーネスつきのザイルを持ってきてくれた。これなら安心だと早速腰に取り付ける。慎重に足場を歩き出した。金属の足場とブーツの裏の鋲がきしんで嫌な音を立てる中、そろりそろりと作業員たちが休憩する方に歩いていった。下を見下ろすと何も見えない。下層は未到達地区であり電灯が設置されていないのだから当然だが、それがとても高いところにいる感覚をもたらした。
どうですか? と少し若い金髪の男が声をかけてきた。にっこりと笑って楽しいです、と答える。場所をあけてくれたので支柱にすがりつきながらそこに腰をおろした。
数分して休憩終了の声がかけられた。身軽に足場の上ですれ違う作業員たちが落ち着いてから、再び支柱にすがりつくようにして立ち上がる。ゆっくりと足場を進んで地面の固い感触を得たときやはり全身の力が抜けた。前方の濃霧の奥からはまた斬り合いの音が聞こえてきた。ちょっと顔をだそうか? とふと思った。午後になったらショベルカーを運転させてくれるというのだ。やっぱり自慢したいと思う。でも面倒だから戦闘の音は無視する。
 

 二一時一七分

仲間たちが怪物を意識し警戒できるのは視界に入ってからのこと。数度の探索でそれはわかっていた。しかしこの濃霧地帯においては仲間たちの視界は著しく狭く、よほど近づかない限り警告しないことにしていた。往来する怪物たちの集団、その行動からこちらの存在に気がついているかどうかを判断し、戦闘が回避できないものだけを教える。倉持ひばり(くらもち ひばり)が怪物たちを感じ取るセンサーはすでに120メートルに達し、それは横穴の中まで走査するために常に同時に10体以上の怪物を感じていた。それらがみなこちらに来るようならば問題はない。しかしその九割以上は自分たちの存在に気づかず、獲物を探しては遠ざかっていく。誰にも負担させることができない監視の作業は、発見し次第仲間たちに知らせていたこれまでのやり方よりはるかに消耗の度合いが強かった。額の汗をぬぐう。
仲間には仮眠を取るように言ってある。20時から22時までの二時間、自分と佐藤良輔(さとう りょうすけ)の部隊だけで守らなければならないからだ。ちなみに佐藤の部隊には普段は津差龍一郎(つさ りゅういちろう)という戦士がいるが、部隊を掛け持ちする彼は今回の警備においては高田まり子(たかだ まりこ)が率いる精鋭部隊と行動をともにしている。よって暫定的に佐藤がリーダーだった。とはいえ誰も不安を訴えるものはいない。佐藤は第二期の中でも屈指の戦士であり先日行われたトーナメントでも素晴らしい成績をあげているのだから。
「お疲れさま」
そう言って缶ジュースが差し出された。リーダーの進藤典範(しんどう のりひろ)は機転をきかせて今夜は保温ボックスを持ち込んでおり、中には暖かい飲み物が詰め込まれている。コーンポタージュをありがたく受け取り、頬に押し付ける。その表情が翳った。
センサーにまた怪物の一団が入り込んできている。珍しくわき目もふらない動きはこちらを目指してのものだろうか? ん?
人数が多い。すぐ脇にいた進藤に皆を起こすようにサインを送った。進藤はうなずくと仮眠を取っているメンバーの元に駆け寄った。その音だけでほとんどの仲間が目を開いている。仮眠をとるようには言っているが、眠るほど安心もできなかったのだろうか。その間にもセンサーにはぞくぞくと怪物の反応が入ってきていた。
「――倉持さん」
佐藤の部隊の太田憲(おおた けん)が小声で話し掛けてきた。それにうなずく。もはや一団と呼んでいい怪物たちの先陣は太田のセンサーにも入り込んだのだった。
「進藤くん」 我ながら緊張で固い声。心の中で舌打ちする。
「すぐ地上に連絡して援軍を要請してください。おそらく私たちを目指してかなりの数の赤鬼青鬼、こそ泥がやってきています。数は現段階で150匹ほど」
進藤の顔は恐怖でこわばり、臨時に設置してある電話機に駆け寄った。
「マカニト使える人っている?」
念のための質問には魔法使いが二人とも首を振った。広範囲に影響を及ぼす術があれば戦局は変わるが、なければあくまで援護がやってくるまで局地的な魔法と戦士たちだけで防ぐしかない。しかしまさか一五〇匹以上の軍団とは。完全に甘く見ていたようだった。奥歯が震える。
 

本日の警備終了。今日は9時から物資運搬作業、10時から職人さんたちの護衛を行った。そのまま俺たちは継続で11時〜14時までは濃霧地帯で警備。たまーに怪物の群れに遭遇するだけで特に問題なく。第一層なら別に怖いこともない。でもそんな余裕を言っていられるのは、俺たちの警備にあわせて水上さんがついてきてくれたからだろう。笠置町姉妹を心配してのことだと思うけど、この人が(なんだかリフト動かして遊んでいたけど)後ろにいるというだけで、笠置町姉妹も目じゃない安心感に包まれる。この人のもとにあるのはたった一人の人間の力だけど、それは離れた場所にいる俺たちをも安心させるほどのもので、人間の修練っていうのはすごいと思う。
そしていったん地上に戻り、18時から20時でもう一度夜間警備についた。怪物というくらいだから夜行性かな? と漠然と思っていたけど二時間いてまったく遭遇はなし。怪物とはいえ夜は眠るのかな? それにしても光など入って来ない地下なのにどうやって昼と夜を判断しているのだろう。不思議だ。怪物たちはコミュニティ単位に別れているから、このコミュニティは昼に行動する、このコミュニティは夜に行動するといった風にそれぞれで違いがあるものとばかり思っていたのだけれど。
それにしても日に二度地下に潜るというのはすごく精神的に疲れるから戦闘がなくてよかったと思う。
と、たった今湯浅さんから電話がかかってきた。地下にいる部隊から援軍要請があったという。待機しているメンバーじゃ足りないかもしれないので俺も行ってくる。
行ってきた。あれだ。俺たちは根本的に甘く見ているか、やり方が間違っている。これからミーティングだ。
三人死んだ。