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地下に住む化け物たち、ありとあらゆるデータに疑問符が塗りたくられている生き物たちとはいえ同じく生物である以上(一部生物ではなかったが、運動する物体である以上)なんとなく強弱はわかるものだ。青鬼は赤鬼に比べて背が高くがっしりしており銅剣も長く、その分だけ当たったときの被害が大きく思える。骸骨はどうにも脳みそがなさそうなのでトリックなどはすべて無駄になる気がする、などなど。こちらが想像できるのであれば当然先方も可能だろう。前衛と後衛、後衛は抜き身の刀剣を掲げることはないし、前衛のように見るからに分厚くまた金属質な輝きをしたツナギを着ているわけでもない。何より前衛は後衛よりも体格において優れていた。だから化け物たちの中で少しでもそういう判断をできる者たちはなんとか前衛の盾をかいくぐろうとする。そしてとにかく相手に死傷者を出そうとする。その点だけで、この化け物たちの社会における戦争でも士気低下による潰走が勝敗を決する第一の要因だと想像できた。もちろん当然探索者にはそんな推測をしている暇はない。彼らの脳裏に刻まれるのはたった一つ。『後衛を守れ』『俺たちを守れ』である。
その観点からすると屈強な体格の戦士というだけで後衛から人気を得るのは当然だった。身長180センチと170センチ。10センチの差というのは片手指だけで表現できる程度のものなのだがこれが人間の身長となると大きく違う意味を持つ。人間は縦に大きければ横にも大きくなるものだし、戦士という筋肉を鍛え上げる職業であればなおさらだ。180センチと170センチの二人の戦士では筋力も体力も違うのだろうが何より邪魔さ加減が違う。つまり突破を試みる化け物を阻止する力が違うことになる。
もちろんそれは体格に劣る戦士に対する周囲の評価が厳しくなることを意味する。たとえば女性のような。
既に数回目の地下探索だった。「お邪魔します!」 と魔法の合言葉を叫んで駆け込んだ空間、こちらを認識して銅剣をかかげる青鬼たちに突進した。向こうも戦意は十分として逆に前衛の突破を試みる。「寝とけオラ!」 という魔法使いの言葉とともに化け物たちの幾匹かの動きが緩慢になったが、三匹がまだ動ける様子だった。海老沼洋子(えびぬま ようこ)は緊張の唾を飲み込んだ。そのうちの二匹は明らかに自分に向かってくる! ニ対一にはまだ慣れていない。瞬時に判断する限り、中央を走る進藤典範(しんどう のりひろ)の手が空くはずだった。彼を待つべきか? 待ってニ対ニであたるべきか? 一瞬だけ悩む。
そのままの突進を選んだのは、自分の力を見せてやるという敵愾心から。しかし彼女は知らなかった。この街の死因の最たるものとして古参探索者に認識されているものは化け物の爪や牙というものではなく『分に過ぎた戦意』であることを。一匹の青鬼がバックステップをかけた。つられてその化け物に一歩を踏み出す。そのわき腹を小さな肢が蹴り飛ばした。バランスを失って倒れた。
「馬鹿エビ! 起きろ!」
進藤の声に跳ね起きると青鬼は二匹とも後衛に向かっていた。一匹に対して進藤が突きを繰り出す。それは青鬼をしとめるには至らなかったが、彼から理性を奪い進藤に釘付けにするだけの怪我は負わせることができた。しかしあと一匹は後衛に届く。魔法使いの小柳直樹(こやなぎ なおき)が悲鳴をあげた。先ほどまで金縛りの術を発動していた彼のことだ。集中のために(前衛を信じて)閉じていた目を開いてやっと至近に迫る青鬼に気づいたのだろう。
悲鳴をあげる二人の術師の前に罠解除師である倉持ひばり(くらもち ひばり)が立ちふさがった。これも後衛にふさわしく武器はない。しかしその脱力の程度は前衛よりもはるかに落ち着いている。
倉持のツナギは純白である。驚くべきことに地下に潜り始めてからこちら、純白以外のものになったことがない。他の人間が多かれ少なかれ返り血や泥水で汚れる中、そのツナギだけは純白でありつづけた。エーテルを巧みに操作する彼女は無意識のうちにツナギの表面を薄くコーティングし、腰掛けたときなどの汚れの粒子を払い落とさせることができる。そう。それほど強力なことはできないが、罠解除師は物理的な影響を及ぼすことができる。これもまた純白の手袋をひらりと舞わせた。
ぐらりと青鬼の身体が揺らいだ。右足が、左足よりさらに左側に着地する。まるで右から左へと強風を受けているような様子だった。もちろん地下に風の吹くはずもなくその青鬼以外にどんな影響も見られない。しかし青い毛皮をまとい銅剣をひっかついだ化け物は左に左にと流されていった。怒りの声を上げながら青鬼は固まった後衛の脇を走り抜けていく。
「ごめんなさい!」 声を上げて、走り抜けた青鬼を追う海老沼。倉持は油断なくその背を見守っていた。鉄剣をつきたてその青鬼にとどめをさすまでじっと見守っていた。その瞳は冷淡だった。