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車両前方の自動ドアが閉まり、笠置町翠(かさぎまち みどり)は息を吐き出した。
かなりきついことを言ってしまったのだろうか。少なくとも「大きなお世話」に属することを言ったという自覚があった。実際は自分の中に昨日からある後悔をぶつけてしまっただけなのに。彼は怒っただろうか。
七歳年上の親戚に「将来お兄ちゃんと結婚するー」と言うのは、同じことを父親に言うのと等しく幼な子の愛情表現として受け取られるものだったろう。しかし幼な子は真剣だった。「翠ちゃんが一人前になったらな」と頭に置かれた手を、当時小学生だった彼女は誓いの指輪の代わりとして受け取ったのだ。
どうしてもっと早くに伝えなかったのか、と悔やむ。真剣な思いを伝えるだけなら中学でも高校でもよかったはずだ。それを先延ばしにしてきた結果、物心ついてからずっと慕い続けた男は遠い世界の住人になっていた。
震える思いで笑顔を保ち、並ぶ二人に手を振って馬事公苑を去った。幸せを邪魔してはいけない、そう思いながらも、最後まで自分は逃げたのだと屈辱的な思いにさいなまれながら。
真壁に向けたのは八つ当たりでしかない。相手の気持ちなど頓着せず自分の思いを伝える――それをすることなく今回も決着を避けた彼に自分と同じ弱さを見つけたのだ。
私は最悪だな。
お土産に持たせてもらったクッキーを口に入れる。これをくれた女性の顔を思い浮かべながら。啓一をよろしくね、と頭を下げんばかりにして翠の手を握った女性。神野由加里(じんの ゆかり)の顔を。
窓がノックされた。外から真壁が覗きこんでいる。
不審に思っていると、真壁が顔の前で左手を立てた。謝るように。そして、口の動きだけで「ごめん」と。
走り走っていく背中を呆然として見つめた。その背中が階段に消えると放心したように背もたれに体重を預けた。口元に笑みが浮かんでくる。
「…・…頑張んな」
自分の部隊は才能にあふれた前衛を一人失ったのかもしれない。
でも、みんなは喜んでくれるだろう。