二度目の迷宮探索も無事終了した。敵は青鬼(コボルド)五匹の集団と、赤鬼(オーク)三匹の集団、そして骸骨(アンデッドコボルド)五匹の集団だった。
まずはセオリー通りに入り口右手の部屋に入った。いちど合言葉で開けてみたくて言わせてくれと頼んだら児島さんに怪訝な顔をされた。「前回も真壁さんが言ってませんでした?」とのこと。そうなのか。ぜんぜん覚えていなかった。そうかもしれないけど、あのときのことは覚えていなかったから、と強弁して言わせてもらう。葵にはおのぼりさんみたいだと笑われた。
今回は戦闘を思い出すことができる。翠を中央に、俺が左側で青柳さんが右について突っ込んでいった。葵のカウントを聞きながら微妙に速度をゆるめるものの、二人よりは随分先行してしまった。あんまり突っ込むと味方の魔法に自分まで巻き込まれるけど、このあたりの感覚には自信がある。産毛が立つようなそんな雰囲気の流れを感じて、その中心点から半径五メートルをおけばいいのだ。今回も成功した。「おやすみー!」という葵の声とともに、青鬼たちの動きがみな緩慢になった。酔ったように足取りがおぼつかなく、棒立ちになっている。魔法使いが最初から使える呪文のひとつである。頭ははっきりしているが身体が動かない、といういわゆる金縛りのような状態をつくりだす。いちどかけられたことがあるが、意識はしっかりしているのに身体が動かないというのは本当に怖いものだ。青鬼には恐怖はあるのだろうか?
食牛などは自分の運命を知って涙を流すという話を聞いたことがある。鋳型を作って銅剣をもつだけの文化レベルがある青鬼たちには当然牛よりも強い喜怒哀楽があるだろう。そんな相手に剣を振るえるのか? とこれを安全な場所から読む人たちは思うかもしれない。その人道的な意見に反論するつもりは俺にはない。ここに来て、自分に対する強烈な殺意を受けたことのない人間、殺らなければ殺られるという立場にいない人間のどんな高説も俺には必要ない。どんな理由であれこの戦闘の場にいたら相手を殺すしかないのだ。
棒立ちの一匹目には急所ねらいが可能、ということで胸の位置を横なぎに払われた長剣は、青鬼の頭蓋骨の上半分を消し飛ばした。右がわで「うわあ!」という翠の悲鳴が聞こえたが、向くまもなく魔法にかからなかった二匹目が切りかかってきた。両腕でないだ刀身は身体の右に泳いでいたから、剣を使っては防げなかった。仕方なく上体をそらしてかわす。銅剣の切っ先が左肩に叩きつけられた。剣で切られた、というイメージが先行して俺は悲鳴をあげた。
左手が動くことを確認して刀身を身体の前に持ち直すと、青鬼は身を翻して逃げ出そうとした。俺の反応が遅れたのは、それが意外だったからだ。これが人間相手の喧嘩だったら相手がやる気なのか、恐れているのかわかるけれど、青い産毛に包まれて鼻面が長く、目は馬と人間のあいのこのように両側に開いているような顔では表情が読めない。逃げるほどおびえているとは思わなかったのだ。
その一瞬にひらいた5メートルの距離に俺は戸惑った。訓練場では戦闘している他の仲間と20メートル離れてはいけないと厳しく注意されている。予想外に敏捷なその動きに追いついたとしても、そのくらいは離れてしまいそうだった。
と、その背中にナイフが突き立って倒れた。翠が投げたものだった。
実際に直面していた俺が反応できなかった行動に、瞬時にナイフを投げて一撃で絶命させるのはさすがだ。と翠を眺めると、返り血で真っ黒になった顔でこちらをにらんでいた。逃がしたのは不注意だった、とわびたら「そうじゃなくて」と憮然とした顔「真壁さんの吹き飛ばした青鬼の頭が私のメットを直撃しました」。返り血はそれらしい。
ハンカチを差し出そうと動かした左肩に激痛が走った。それを悟った翠が児島さんを呼ぶ。その間に切られた個所を検分した。
驚いたことに迷宮街特製のツナギにはほつれすら見られなかった。床に転がっている銅剣を拾い上げると、素人の包丁程度には砥がれている。思ったよりもはるかにこの布地は信頼できるようだった。児島さんの言葉に従って左肩をぐるぐるとまわしたものの、鋭い痛み以外に問題はない。戦闘に入ればそれも忘れることはさっきわかったので、今回は治療は行わないことにした。
その後、その部屋の中でもう一度赤鬼の集団と出会い、一人一匹ずつかたをつけた。この際に俺が右手を切られ、今度は太刀筋が良かったようで皮膚を少し切られてしまった。赤鬼は青鬼よりも筋力が低いらしく、短く軽い銅剣を使っている。そのために太刀ゆきの速さ自体は赤鬼の方が上なのだ。
いちばん恐ろしい殺され方は撲殺だという。その真偽はわからないけれど、それはあくまで「殺されるまで続くなら」という前提ような気がする。刃物が自分の皮膚を切り裂く感覚は、やっぱり別物だ。殴られるのとは違う刺すような恐怖感がある。児島さんがあっという間に傷をふさいでくれたけれど、そのあいだ全身がガタガタと震えていた。今夜夢に見そうだ。
地上へと戻るあいだに骸骨の一群を発見した。距離的には避けられたけれど俺たちはタカ派なのでそのスピードのまま距離をつめていった。しかし戦闘にはならなかった。魔法が届く距離になった瞬間、葵がそいつらを焼き尽くした。
今日の収入は一人あたり13,000円。これから北酒場で刺身の盛り合わせ(四人前6,000円)を食べる。