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北酒場内部を大別すると六つに分けられる。ひとつは六〜十人座れる丸テーブルが並ぶ集団用の飲食スペース、二つ目は八人がけのテーブルが並ぶ個人用の食事スペース、三つ目はバーカウンター、四つ目はパーティーなどを行うためのホール、五つ目はオープンテラスになっているカフェテリア、そして厨房だ。バーカウンターには四組分のペアスツールと十人ぶんのスツールが並んでいた。いま織田彩(おりた あや)が腰掛けているのはペア席ではない。ふらりと一人でやってきたので一人の席に座っていた。ほかの客はといえばペア席に探索者らしい二人がいて、織田とは二つ席を開けて津差龍一郎という大男の探索者が座っていた。そのために余裕があったのか、バーテンが話し掛けてきた。探索者の方ではありませんね? 日に焼けた精悍な外見とは裏腹の穏やかな声だった。小川肇(おがわ はじめ)と自己紹介を受けていて、先日からここで働き始めているらしい。
やっぱり雰囲気が違うんですよ、と小川は笑った。それは、この街が生まれてからずっとコンビニで働いてきた織田にも納得できる答えだったが、続いてコンビニですか? と言い当てられたことには驚いてしまった。
「発声でそんな感じがしたんです。コンビニ独特の発声法は、普段の会話でもわかるものですよ」
そんなものかな、と感心する。
「それに、昨夜レジにいらっしゃるところをお見かけしたからね」
津差の含み笑い。絶句した織田に向けた小川の人を食った笑顔、視線が彼女の後ろで止まった。そして「片岡さん」と声をかける。
「素通りとはつれないですね、片岡さん。一杯飲んでいってくださいよ」
片岡宗一という鍛冶師だった。織田や小川とは違い、鍛冶師だけは迷宮探索事業団から給料をもらっている。30人ほどいる彼らが探索者の武器を作り、修繕し、調節しているのだった。鍛冶師たちはみな力仕事にふさわしい体格と男っぽさだったが、その中でもチーフの位置にいる片岡は見るからに血の気がありそうだ。正直なところ織田は苦手だったので隣に座られて少し戸惑う。
しかし、普段の彼とは別人のように今夜の片岡は憔悴していた。小川は何も言わずにビールにブランデーをいれて差し出した。
「大木のところが全滅だよ、小川さん」
大木――大木邦人だ。名前を繰ってすぐに思い当たった。第一期からいる中堅の探索者である。年齢は20代前半〜半ばというところだったろうか。毎週木曜日の夜には必ずマンガ雑誌を立ち読みしていた姿を覚えている。背は高く声は大きく笑顔は大味で、殺しても死なないだろうと感じていた。その感覚はこの街ではあてにならないと知ってはいたが、でも、そう感じていたのだ。
「らしいですね」
「何日か前、あいつのところと喧嘩しててね。その時小川さんはいたかな? 大木のこともかなり強く殴ったから、やっぱり後味はよくないな」
「気にすることありませんよ」
これは津差だった。「大木さん、翌朝には顔の腫れはすっかりなくなってましたから」
そうか、そうならいいんだけどなとつぶやくものの、それでも気分は晴れないようだった。そして津差の顔を見た。
「あんた、津差さんてひとかい?」
「――どこかでお会いしましたか?」
「いや、あんたの剣も研いだからな。あれだけでかくて、たった一日で鉄の刃がボロボロになるような怪力はあんたくらいの体格だろうなと思ったのさ」
なるほど、とうなずく津差にではなく、大木は誰にとも無くつぶやいた。
「大木はあれで几帳面なやつだった。あんたたちの剣は両刃だろう? でも大木はいつも決まった側の刃しか使ってないようだった。左右対称の鋳型で作った剣だったんだから、どっちの刃も同じに使えただろうし他のやつらはみんな両刃とも使った後があるのに、あいつだけは片方だけだった。それも決まったほうだ。口は悪かったし喧嘩っ早かったけど、細やかなところもあった奴だった。――もう死んだんだな」
三人とも、日に焼けたその顔を眺めていた。片岡は二杯目のビールをあけた。
「津差さん、あんたは死なないでくれよ。あんたの剣だけは、運ぶのに他のと一緒にしないんだ。普通は二本ずつ運ぶのに、同時に持ったら重すぎて疲れるからな。それは俺たちにとっては時間の無駄でうっとおしいことだけど、しないで済むようになったら俺たちみんな落ち込むぞ」
「そうですよ」
織田がつぶやいた。
「津差さんがもし――そんなことになったら、私たちはレジにくるすべてのお客さんに『この人もどうせ』って思わなきゃいけなくなっちゃいますから。ゴルフダイジェスト、津差さんの立ち読みのためだけに入荷しているんですからね。これからも入荷しては返品を繰り返しますからね、いいですね」
涙声になっている自分を恥ずかしく思う。でも、そう、もし店長が少年チャンピオンを「もう立ち読みする奴もいないし」ということで入荷しないように言い出したら、自分は断固として反対するだろう。
津差は黙りこくっていた。強いブランデーを一気に流し込む。
「ごめんな、勝手なこと言って」
片岡が決まり悪いように謝罪した。それでもしばらくじっと黙った後巨人は答えた。
「――いえ。ありがとうございます」