後頭部には大きなたんこぶ。触るとまだ痛かった。明日になれば、児島さんがもう一度治療してくれるらしいのでそれまでは我慢しないと。今日は横を向いて寝るようかな。
迷宮探索も三日目で、最初の頃よりはるかに度胸もついた。さらに、俺たちの魔法使いは他の新参の探索者よりもはるかに多数回魔法を使えるという事情もあり、快調に四度の戦闘を無傷でこなしていた。
慢心があったのかもしれない。五度目の戦闘で、アンデッドコボルド、通称骸骨という死んだ青鬼がまだ動いている化け物と戦っていたときのことだ。この階層の敵の剣筋はすべて見切れていたので軽々とかわして踏みおろした左足が突然滑った。あとで翠に聞いたところでは、俺たちがツナギの補修用に持っている布切れ、それが二枚重ねられて放置されていたらしい。左足を持っていかれて俺は背中から転んだ。そして後頭部の向かうところに拳大の出っ張りがあった。俺たちがかぶっているヘルメットには両脇と後ろにツナギと同じ分厚い生地のガードが垂れている。それがなかったら死んでいたかもしれない。その布地のお陰でどうにか俺は気を失わずにいられた。骸骨に腹を向けるように転倒した俺に対して、骸骨が切りかかった。腹を刺されていたら危なかったと思う。しかし切りかかってくれたので、刃は肩口を軽く切ったところで地面に切っ先がぶつかり止った。俺は必死の思いで左手にナイフを握り、剣を持った腕(骨にわずかに肉がこびりついているだけだったが)をつかんで引き寄せ、頭蓋骨を弾き飛ばした。
そして片膝をついたまま頭痛と肩の痛みに耐えていた。残りの骸骨を翠が両断したのを見届けて、俺は四つん這いになると思い切り吐いた。そして意識を失った。
目がさめたのは迷宮街のはずれにある診療所のベッドの上だった。おそらく俺の血だろうが、それが髪にこびりついたままの翠が視界に入ってきた。その後ろにはなぜか津差さんと彼らの仲間の魔法使いがいた。そしてまた視界が暗転した。
次の記憶はもう日が暮れたあとだった。一応一室与えられているもののそこには入院の準備などまったくないことにほっとして、とにかく診療所の人に事情を聞こうと立ち上がったら青柳さんと翠が入ってきた。先ほどはツナギだった翠はもう着替えており、髪も洗われているようだったから、結構な時間寝ていたようだった。二人ともほっとした表情を見せた。CTスキャンの結果もレントゲンの結果も問題なしとわかっていたが、そして規則正しい気持ちよさげな呼吸だったが、ゆすっても起きないのでは不安だったろう。翠も、部屋の外にいた葵も目を赤くしていてくれたことに少し胸がつまる。
支払いを終えて木賃宿に戻った(もちろん迷宮街の医療は保険対象外で、今日の稼ぎはすべて吹き飛んだ)。個室を取ればいいのにと青柳さんが薦めてくれたが、体調はすっかり回復していたから普段どおりモルグに向かった。着替えて(着替えその他の荷物は毎朝荷造りして、木賃宿の受付で保管してもらうことになっている)血で汚れてしまい、肩口も大きく裂けてしまったツナギを道具屋に預けた。こうすれば、三日後の朝には綺麗に修繕して洗濯して渡してくれるのだ。小林さんが受付だったが特に何も話さなかった。数日前の織田さんの言葉がまだ耳に残っている。
木賃宿に戻ると津差さんが俺を待っていた。朦朧としていたからゆっくりとしか歩けなかった俺を診療所まで車で運んでくれたと聞いていたのでお礼を言うと、じっと顔を見てからちょっと付き合え、と北酒場に連れて行かれた。
北酒場には津差さんの仲間たちと、内藤くんという魔法使いの妹さんがいた。どうして俺を誘ったのかわからないが、しきりに怪我の状況を質問されて、俺が転んで頭を打ったことを話し、二度目に目覚めたときは昼寝をしたあとだから却ってすっきりしたくらいだったと言ったらほっとしたように笑っていた。そして「今回のことはドジで、周りが大騒ぎしただけだな」と結論付けられた。なんとなく釈然としない。あれはドジというより不可抗力だったし、頭を打った以上慎重に行動してくれてありがたかったと思っているから。でもいつもの慎重さと思いやりを見せず笑い話に終わらせようとしている津差さんが不思議に思えたので黙っていた。
内藤君の妹さん(陸さんという。内藤君が海という名前だから、おそるおそる「空はいるの?」と訊いたらお兄さんがそうだと答えた。なんて親だ)は二日京都を観光したらしい。どこかお気に入りは? と訊いたら青蓮院を薦めてくれた。青柳さんに頼んで明日のコースに入れてもらうとしよう。