21:40

知り合いが宴会でもしていないかな、と思って円テーブルのスペースを訪ねた。予想通りに「真壁!」と声がする。真城雪(ましろ ゆき)がジョッキを掲げて呼び寄せていた。珍しいことに同席しているのは普段の仲間たちではない。現時点で第四層に到達している四部隊のリーダーだった。星野幸樹(ほしの こうき)は自衛隊の将校という珍しい経歴を持つ。高田まり子(たかだ まりこ)は迷宮街最高の魔術師で、『魔女姫』という異名を受けていた。湯浅貴晴(ゆあさ たかはる)は長身で整った容貌、超然とした印象を与える治療術師である。第四層における地図作成や電灯設置などの作業はこの四部隊で行っているため探索者の中でも確固たる敬意を抱かれているエリートたちだった。真壁啓一はいぶかしい思いをしながら歩み寄っていった。なんですか? と訊く。
「真壁はあたしの味方だよな?」
女帝と呼ばれる女は相当程度酔っていて、そして不愉快になっているようだった。真壁は即答を避けて他の三人の顔を見た。星野と高田は苦笑し、湯浅の端正で理知的な顔立ちは普段どおりの無表情である。この四人の中で意見が分かれたというわけでは、少なくとも深刻に分かれたということではなさそうだった。
「やですよ、事情わかってても怖いのに」
なんだと! と気色ばむ。まあまあ、あんたの気持ちもわかる、よーくわかるからとりあえず飲みなよ、と高田がテーブルの上のジョッキに残っていたビールを彼女のジョッキに注いだ。ぜんぜんわからない上にそれは俺のビールだよと湯浅が小さくつぶやいた。無表情は変わらない。
星野が苦笑を深くして説明する。新しい買取担当者が買い取り価格の値下げを狙っているらしい、そのために探索者全体でまとまる必要があるだろうかと話し合っているのだ、と。確かに真壁の部隊は第二期の中では一番有力なものだったから、第二期探索者の意見を訊くにはもってこいなのだろう。
「そっか、真城さん値段を下げられたらロイヤルスイートにいられませんしね」
別に暮らしを変えるのが嫌なんじゃないよ、とぶつぶつつぶやく姿に苦笑がもれる。そこで突然「君が真壁くんか!」と声をかけられた。
一目でその能力の高さがわかった。年齢は25〜6といったところだろうか、日に焼けた肌と刈り込んだ髪が印象的な男だった。背丈は真壁より高く180センチを少し超えるくらいだろうか。見覚えのある顔だったが、この街の人間ではなかった。もちろん探索者の大半は顔と名前が一致しないのだが、この男とすれ違えば必ず記憶に残る。雰囲気から感じる戦士としての勘がそう告げていた。この男は、もしかしたら訓練場の教官に匹敵すると。
そしてふと思い出した。先日、笠置町姉妹と同席していた男女のうちの一人がこの男ではなかったか。同時に納得する。若くしてこの街屈指の能力を持つあの姉妹の関係者であればどんな化け物であっても不思議はない。遠目に姉妹の両親を眺めたときの重圧は、今でもときどき夢に見るのだった。
記憶を探っていた真壁の沈黙に、男は自分が唐突すぎたことを悟ったようだった。ごめんごめんと頭をかく。
「僕は水上孝樹(みなかみ たかき)って言います。翠ちゃんたちの従兄です。いや、真壁くんって名前を聞いたもんだからとにかく声をかけちゃったけど、驚かせてしまったね」
そして真壁の姿を上から下へと見回した。
「いや、よかった! ようやくできた翠ちゃんの彼氏が君みたいなちゃんとした人で。おばさんがいつも、あの子はダメ男にひっかかるとか心配してたから俺も不安だったけど、うん、よかった」
言葉の後半を真壁は理解していなかった。彼氏? 想像外の言葉に自分の名前が何かの事情で使われていることを知った。それを暴いたら一人の娘が恥をかく。めったなことは言えなかった。さらにこの場にいる四人、特におしゃべりな一人が失言しないようにその行動を制さないといけない。その方法を考えていたのだが――ポケットで携帯電話が震える。取り出した発信者の欄には懸念の相手の名前が光っていた。安堵して、水上に謝ってから携帯電話を耳につけた。無言だった。あたりまえだ。発信者の真城雪はすぐそこで座っているのだから。彼女も、翠が何かを隠すため真壁の名前を使ったうそをついたことに気づいたのだ。そしてとっさに助け舟を出した。ポケットの中では携帯電話が握られているのだろう。
無言の相手に向かい真壁は話しかけた。はい真壁です。ん? ほんとに? いやそれ早く処置しろって。わかった、すぐに行くから。切る。
そして、目の前の水上に頭を下げた。ちょっと、友人が緊急事態なんで行かないといけません。今度お食事でもご一緒させてください、と。水上は鷹揚に笑って手を差し伸べてきた。珍しいひとだなと思いながら握手を返す。彼の手は指が長く太く力強く、剣を振り回すことで鍛え上げられた自分の握力であっても本気を出されたら骨が折れるのではないかと感じられた。
円卓の四人にもお辞儀をして、真城雪の酔っ払いらしからぬ判断には大きな感謝の念を込めて足早に北酒場の出口に向かった。そして立ちすくむ人影を見つけた。笠置町翠だった。真壁さん、とつぶやく顔には不安げな色。真壁は笑顔を作れとだけ言った。水上が見ているおそれがある。泣きそうな今の顔を見られたら疑問に思うはずだ。
なんとか笑顔を作った女剣士に真壁は微笑んだ。
「とりあえず口裏合わせてるし、逃げてきたから大丈夫」ほっとした表情に続ける。
「なんでも協力するよ。でも前向きに一歩踏み出すんなら応援する」
肩をぽんと叩いて出口をくぐった。細い肩だった。