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腹減った腹減ったと唱和しつつ示威部隊が地上に戻った。留守番役の太田憲(おおた けん)、落合香奈(おちあい かな)がお疲れ様と出迎え、ビニール袋の中から折り詰め弁当を取り出した。そして大きなお鍋。これは落合が北酒場のコックに頼んで作ってもらった豚汁である。昨日はなかった、さすが常盤と香奈ちゃんじゃ違うなという黒田聡(くろだ さとし)の言葉に、泥と血に汚れたツナギの全員がありがとうございますと頭を下げた。落合香奈は苦笑して三角巾を頭に巻く。普段からキャリアウーマンのような格好をしている彼女は今日もダークグリーンのパンツスーツ。その上におさんどんの割烹着を着て三角巾を巻く姿は非常にほほえましい。
入れ違いに出て行った自衛隊員を見送って、津差は部隊の罠解除師である太田に小声で訊いた。なんか込み入った話をしていましたよ、という視線の先には苦虫を噛み潰したような星野幸樹(ほしの こうき)が座っている。星野さん、その話が鬱陶しくてお昼休みにこっちに逃げてきたのに追っかけてきたんです。
「星野さんお疲れさまです」
迷彩服を着ているということは、探索者としてではなく公務員として詰めているのだろう。うん、と仏頂面でうなずいてから、軍人は思い出したように津差に礼を言った。昨日彼の娘を温泉に連れて行った件だった。いえいえと恐縮した。
「ゆかりおねえちゃん、って由真がうるさかったが、真壁くんもいたのなら理事のお嬢さんのことか? 名前を間違えているか?」
「いえ、違います。ゆかりさんてのは啓一の彼女ですよ」
えー! と太田ともう一人、先ほどまで示威部隊に参加していた鯉沼昭夫(こいぬま あきお)が驚きの声をあげた。なんだ? と二人を見やると顔を見合わせ、鯉沼が口を開いた。この男は星野の部隊の治療術師で、アマゾネス軍団の一人鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)とこの街で出会い結婚したという珍しい経歴を持っている。真壁くんに彼女がいることに驚いて、加えてそれが笠置町さんじゃないことにさらに驚きました。その言葉に津差は苦笑した。ほとんどの男たちは笠置町姉妹(特に姉)に畏怖の念を抱いている。彼らにとって表面上は家来のように扱われながら実際は女傑に君臨している真壁にもまた端倪すべからざるという思いを抱いていたし、実力で劣る真壁がそれを成しえているのは恋だの愛だのという人間関係におけるレアカードのおかげだと思い込んでいたのだ。二人をすぐ近くで見ている津差には彼らの関係は腑に落ちるものだったが、それほど親しくない太田や鯉沼ではそう思うのも無理はない。
そうか、と星野はうなずいた。やさしかった、やさしかったとうるさかったから、笠置町嬢のイメージとは合わないと思っていたという。今ごろはくしゃみでもしているだろうか? と津差は笑いをかみ殺した。
「ところで津差。青柳から打診のあった件は聞いているか?」
流れで一緒に食事をすることになり豚汁の紙皿を持ちながら、星野が津差に話し掛けた。ああ、と鯉沼や葛西紀彦(かさい のりひこ)といった最精鋭部隊の面々がうなずく。思い当たることがあるらしい。
「知りません。なんですか?」
星野の話では、一月中旬から下旬にかけて笠置町部隊の人間をそれぞれ第四層に達している四部隊に出稽古させてもらえないかという打診が青柳誠真(あおやぎ せいしん)から各部隊のリーダーになされたらしい。第四層を経験し、できれば成功している部隊の空気に触れるのが目的だという。啓一の考えそうなことだなと津差は興味を持った。
「俺たちとしても異議はない。現状は相変わらず第四層で頭打ちだからな。高田さんが瞬間移動の術を身に付けたからあそこの部隊だけは今後第四層を起点にしてスタートできることになったが、それでも後進の育成と全体の能力の底上げはやらねばならない課題だからな」
津差がこの街にやってきた日、200人以上すでに探索者がいた。いわゆる第一期と呼ばれるものたちだ。しかしそれも今や120人程度に減っていた。ほとんどが第四層に挑戦して壊滅したのだが、それまで第二層でくすぶっていたものたちがとうとう笠置町部隊に追い抜かれてあきらめるケースが最近出始めていた。ともあれ、第一期だけでまとまっていても仕方がないと星野は言う。現時点で第一期探索者だけで組んでいる部隊は精鋭四部隊を含む一二部隊で、残りは第一期と第二期の混合部隊になっているのだ。現に第一期で先輩にあたる鯉沼も津差に対しては年長者として丁寧語を使用している。精神面でも壁はなくなったのだろう。青柳の提案はそういう状況に合致していた。
だが、と星野は言う。精鋭部隊とはいえ第四層では油断はできない。出稽古を許すメンバーは厳選するという。星野、高田まり子(たかだ まりこ)、真城雪(ましろ ゆき)、湯浅貴晴(ゆあさ たかはる)のリーダー四人で話し合った結果、七人が出稽古を許すとしてピックアップされた。
「七人も?」
津差は意外だった。彼らのレベルに達しているのは笠置町姉妹くらいだと思っていたからだ。お前がそんなことじゃ困るな、と星野は笑った。笠置町姉妹、津差、真壁は誰も悩まなかったと星野は言う。そうなのか。
「あとは鈴木秀美(すずき ひでみ)――彼女が望めばだがな――と倉持ひばり(くらもち ひばり)、それと久米篤(くめ あつし)だな」
二人は知らなかったが、笠置町姉妹と同じサラブレッドだそうだ。どうにもこの迷宮は、自分たちの生活の糧だけではなく超人の卒業試験にも利用されているらしい。
「お前にとっても悪い話じゃないと思う。考えておいてくれ」
とりあえず発起人と思われる真壁に狙いを聞いてみよう。そう考えながらうなずいた。