2003-10-01から1ヶ月間の記事一覧

小さなガッツポーズを見て意外を感じた。佐藤良輔(さとう りょうすけ)の目の前で同じ賞品である遊園地のチケットを受け取る娘は、その仲間の日記を読む限り恋人はいないと思っていたからだ。それでもペアチケットを喜ぶからには誰か一緒に行く相手がいるの…

常に明確に未来の筋書きを予想する。 その筋書きをもとに最適な自分の行動を計画する。 実際の事態の推移はもちろん予想通りにはいかないから、どのようになぜ異なったのかを確認する。 これは大なり小なり社会人の大半が意識していることだったが、その度合…

ジョッキがぶつかる音は常よりも大きく思えたが、常盤浩介(ときわ こうすけ)の心のうちには納得している部分もある。四角いテーブルの一角を占めた四人は四人とも目の前で激戦をたっぷりと見せつけられたのだから。うち二人、青柳誠真(あおやぎ せいしん…

「・・・黒田くん」 その声だけを聞いた者がいたとする。そしてその人間が本日この街で剣術トーナメントが行われたとだけ知ったとする。それでも絶対に、その誰かはトーナメントの準優勝者とドアの向こうからもれてくる声の主を一致はさせるまい。黒田聡(く…

ありがとうございました、と下げられた頭に笠置町翠(かさぎまち みどり)は微笑んだ。昼ごろからすっかりお騒がせだった女子高生たちももう帰るという。ほっとするような、なんだか寂しいような複雑な気持ちだった。 もともと、試合後のこれからこそ彼女た…

礼を終えて振り向いた黒田聡(くろだ さとし)の身体が揺れた。ああ、音ってのは空気の振動なのだなと実感させてくれるほどの拍手と喝采が自分と国村光(くにむら ひかる)に向けて降り注がれている。左肩の付け根はずきずきと痛んだけれど、自由になる右腕…

国村光(くにむら ひかる)がその場に倒れこんだ姿を見て鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)は思わず立ち上がった。決定打がなかったためにこの場での即座の治療術は必要ないかと思っていたがもしかしたら国村の容態は悪いのかもしれない。試合場に駆け込もう…

「降参してください、国村さん。今の俺は寸止めができません」 静謐な表情をしたままのその言葉に国村光(くにむら ひかる)は自分の敗北を悟った。うそをつける顔ではなく、であれば、うかつに動かれたら相手を殺さずにはいられない境地にまで黒田聡(くろ…

何をしたいかはもう決まっていた。そのために何をするべきかの計算ももう済んでいた。その計算式はすべて破棄し結果だけを心に刻み、そのために行動に迷いは起こさない。黒田聡(くろだ さとし)はただ彫像のように木剣を振りかぶりこ揺るぎもしない。 向か…

すでに三度の突きを放っており、勝負はまだついていない。黒田聡(くろだ さとし)はさきほどの突きの射程距離に怖れをなしたのか大きく跳び退ってかわすだけで反撃まではできないようだった。そうでなければ困る、と国村光(くにむら ひかる)は焦りをかす…

真壁啓一(まかべ けいいち)が大きく息を吐き出してようやく、縁川かんな(よりかわ かんな)は自分の身を縛る何かが消えたことに気づいた。それまで行われたのはたったの一動作だった。国村という男が突き、黒田という男はそれをバク転でかわすという。そ…

開始の声と同時に構えたのは、国村光(くにむら ひかる)の奇襲を恐れてのことだ。とはいっても開始と同時に切りかかるといった簡単な話ではない。こちらの気が満ちている状態でも間合いにいればすべての行動が奇襲になるのが目の前の男だった。 戦闘におけ…

光の中に突然うかびあがったひょっとこのお面にぎょっとした。凝視する中で白い手がそのお面をはずすと理事の娘で自分が下した女剣士の笑顔があった。そうか、この娘との勝負も大変だったと黒田聡(くろだ さとし)はしみじみと思う。手にしたお面をつけて登…

目を閉じたままでも周囲には気を配っており、平べったい音を上げるスリッパの足が自分をめがけてやって来ることに気づいていた。だから、来客が声をかける前に国村光(くにむら ひかる)が顔をあげたことで神田絵美(かんだ えみ)は驚いて立ちすくんだ。 「…

心配していた太腿は骨折などしていなかったようで、国村光(くにむら ひかる)はほっと安堵のため息をもらした。さすがにぶあつい筋肉に守られているだけのことはあり、ここに比べたら右胸の方が怪我としては重いと触診を終えた今ならばわかる。それなのに試…

小声で名前を呼ばれ、黒田聡(くろだ さとし)は薄目を開いた。それだけの動きでこめかみが鋭く痛んだが、顔をしかめたことを察したのだろうか? 見下ろす人影の表情が曇ったことに気づくとあわてて笑顔を浮かべた。気のせいかもしれないが、顔を笑顔に保て…

ああん、もう! と苛立たしげな声に鹿島詩穂(かしま しほ)は振り向いた。訓練場への入り口、靴を履き替えるべき個所で彼女の上司である迷宮探索事業団の理事、笠置町茜(かさぎまち あかね)が立ち往生している。一瞬だけ考えて答えに思い当たった。 「茜…

真壁啓一(まかべ けいいち)の通っていた高校では二年次〜三年次の体育の授業として剣道と柔道を選ぶことができたが当然のように柔道を選んだ。理由はたった一つで共同使用される面や篭手が臭かったからだ。それでも剣道クラスを選んだ生徒たちが(授業の直…

歩いていたら後頭部を叩かれて、鈴木秀美(すずき ひでみ)は非常に驚いた。普通の人間とはほんの少しだけ違う家庭で育った彼女は無意識のうちに周囲に気を配る癖がついており、自分に向けて物体がある程度以上の速度で向かってきたら警告が鳴るようになって…

室内の様子に佐藤良輔(さとう りょうすけ)はぎょっとした。ここは現在剣術トーナメントが行われている屋根つきの訓練場に隣接する事務施設で、二階には基本四職業の各教官の教官室が並んでいる。それぞれの部屋は自分がこの街で借りている2LDKの二部屋…

その女性に笑顔で呼ばれるといやな予感がする、とは恋人である常盤浩介(ときわ こうすけ)の述懐だった。特別に頼むという雰囲気のないままいろいろなものを命じるような人だから、わざわざの笑顔の代償はなんだろう、という話らしい。自分にとっては優しく…

その腕にすがりつきへたり込んでようやく、その細くて小さい腕が自分を全く支えられず引きずりおろしいる体勢になっていることに気づいた。国村光(くにむら ひかる)はその小柄な女性(名前はなんといったろう? 先ほどまで黒田の看病をしていた女性だ)に…

首の稼動範囲ではかわせない。至近に迫った神足燎三(こうたり りょうぞう)の表情、実はまだ一本残っていた(いったい、どこに!)木刀を掲げたその腕の位置、距離とこれまでの経験から予測される木刀の速度をすべて考え合わせての国村光(くにむら ひかる…

お前ら、声がでかいぞ。神足燎三(こうたり りょうぞう)は背後から聞こえてきた会話に苦笑した。自分の位置では一言一句もらさず聞こえたその会話、自分の残弾数を正確に看破したその会話はもしかしたら向かいに立つ男にも届いたかもしれない。女帝との会話…

ヘルメットをかぶりなおした国村光(くにむら ひかる)の姿に再び『ネット』たちを緊張が包む。日々後衛を守っている彼らとはいえこの『ネット』役は疲れるものなのだ。それまで半分以上が座り込んでいたことでもそれは明らかだった。同じく背後を守るとはい…

白線いっぱいまで下がった国村光(くにむら ひかる)の太ももはすでに放送席の机のふちに触れており、つまり木刀から観客席を守るべき『ネット』たちはその間に陣取ることはできなかった。それは国村を狙って放たれる木刀のうち低い弾道のものは誰にも邪魔さ…

息を整えながら身体の様子を再確認しようとした。それを阻害するのは間断なく伝えられる右腿からの痛覚だった。貫かれたわけでもない切り裂かれたわけでもない単なる打撲が思考力を奪うほどの警鐘を鳴らし、ともすれば闘志すら削ろうとしていた。震える奥歯…

化け物め。 国村光(くにむら ひかる)の渾身の胴をやすやすとかわし反撃の小手を(かわされたものの)打ち込んでいてなお、神足燎三(こうたり りょうぞう)は背筋が冷えていくのを抑えられない。二発の木刀をかわしてのけるのは当然だとしても、倒立の姿勢…

「神足さんってテレビの撮影のときにお話しただけだけど、なんというか」 そこまで口に出してから笠置町葵(かさぎまち あおい)は残りの言葉を飲み込んだ。積まれた土嚢、一つ下の壇に据わっている若林暁(わかばやし さとる)が半身で振り返り口元に笑顔を…

はじめの声に腰をぐんと落とした。普段はやわらかい太ももが硬直し膨張するのが自分でもわかった。反応速度は今日いちばんだ、と自分の身体への満足感とともに国村光(くにむら ひかる)は視線を対戦相手に当てた。敵手である神足燎三(こうたり りょうぞう…